わかちあい   
イエズス会の霊性 


イエズス会を特徴づける霊性は創立者ロヨラのイグナチオの人となりに深く結びついています。北スペイン・バスク地方の貴族の末子として生まれたイグナチオは、軍人として従軍したパンプローナの戦いで負傷し、故郷のロヨラ城で回復を待つ間、地上の王ではなく永遠の王イエス・キリストに仕えようとの回心を体験します。そのため、城を出て巡礼者に身をやつし苦行と祈りに徹底して打ち込み、ついに深い神体験を得ます。この神体験によってキリストに生きる者となったイグナチオは、人びとの魂を救いたいとの思いに駆られ、自分の霊的な体験を『霊操』にまとめ、人びとを導くようになりました。 聖地巡礼の後、司祭職を志し、やがてパリ大学で学ぶ間に仲間を得、ついにローマに赴いてイエズス会を創設しました。イグナチオの望みは弟子としてキリストに徹底して仕え、今もこの世界のただ中で人びとの救いのために働いておられるキリストと労苦をともにして働くことでした。そのためキリストの愛に向けて自分の魂を整え、今・ここでの神のみ旨を知り(識別)、いっそう(マジス=ラテン語で、より一層)、徹底して仕えられるように生きることを求めました。使徒的働きに打ち込むこのようなイグナチオの霊性は、「活動における観想」、「神 のより大いなる栄光のために」というモットーに示されています。 彼の霊性はイエズス会の会憲において、キリストのミッション(「派遣」)に向けた養成、統治のあり方として具体化されます。イグナチオの思いを担うイエズス会は、世界のただ中にあって、あらゆる分野において神に協力して福音を述べ伝え、人びとに神への道を示そうとしています。 「霊性」は、定義の困難な言葉です。「霊性」は、私たちの生活の「スタイル」や「精神」、つまり神への信仰を私たちが生き抜く道、「修道者としての私たちの道」と関係しています。リチャード・マクブライアンは『カトリシズム』という著書の中で次のように書いています。 「霊的である」とは、生活には目に触れる以上のものがあるということを知り、その知識に沿って生きることを意味する。「霊的である」とはさらに、個人的、対人的、社会的、宇宙的な変革の原理として、神が恵みの内に私たちに現存することを知り、その知識に従って生きることを意味する。「聖霊に開かれている」ということは、私たちがだれであり、またどのような者になるように、いつも呼ばれているかを自覚的に受け入れ、私たちの生活をそれに沿って方向づけることである。 ベネディクト会やフランシスコ会、ドミニコ会といった教会の偉大な修道会は、復活されたキリストに従い、聖霊に応える独自の道を、会の霊性としてもっています。 皆さんがご覧になっている、このウエブサイトは、イエズス会の霊性を紹介し、その独自性のあらましを捉えていただくために準備しました。けれども書かれたものには、おのずと限界があります。イエズス会の霊性を知る最善の道は、ここに紹介した方法や祈りをいくつか自分の生活に取り入れると同時に、聖イグナチオやイエズス会員の霊性を生きている人たちと話すことです。 このウエブサイトには、イエスに従おうと志すイエズス会員の道を感じ取る手助けとなる祈りや内省のヒントがいくつか載っています。できれば、何か月かをかけて全部を試してください。修道生活への召命を考えている人にとっては、規則的な祈りと内省の習慣を、時間をかけて、あせらず、じっくり育んでいことが欠かせないからです。


イエズス会の名称
ロヨラのイグナチオと霊操
現代に生きるイグナチオ
コロンビエールとイエスのみ心の信心
希望をもたらす人、ペトロ・アルペ神父


 
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