わかちあい   
奉仕する神様の姿 
2017年4月16日
復活の主日


奉仕する神様の姿



 皆様、復活なさった主イエスの喜びが一人ひとりの心に訪れますように祈ります。

 キリシタン時代の記録を見ますと、1601年の長崎で、司教セルケイラが盛大に聖週間を祝い、聖体拝領した人だけでも1000人を越えました。当時、そう簡単に与ることのできない典礼のありがたさを感じていたに違いありません。1596年の有馬での祝いに、大きな行列が行われ、神父たちの後ろに、黒い服を着て蝋燭を持った子どもたちが釘などの「受難の道具」を持って行列したそうです。殿様と兵士たちが武士の晴れ着を着て一晩中安置されていた御聖体を見守ったとあります。

 聖週間は奉仕する神様の姿を見る、祈る時期です。イエスは模範を示しましたが、その時だけではありませんでした。十字架上に至るまで、私たちの救いという「この上なき」奉仕を遂げました。少し観想しましょう。イエスは食事の途中で、あえて洗足を行います。足を洗うために相手より低い位置まで下がります。足を洗うためにその人に近づいて、触れて洗います。パンを割いたときも、奉仕するイエスが、自分自身を捧げています。観想すればするほど、イエスの行為は神様がそういう方であることに気づかされます。罪を犯した人に対する奉仕する神の姿を表します。ペトロに対しても、裏切ろうとするユダに対しても奉仕するイエスの姿を観想しましょう。イエスの言葉、「今は分かりませんが後になって分かる」を聴きましょう。

 私たちは奉仕する神様について行こうとすれば、その行為を受け止めるべきです。奉仕することはいつも満足感を味わうわけではありません。イエスもありがたく思ったペトロ、そのありがたさを理解しなかったユダに対しても足を洗いました。感謝されなくても、誤解されても、奉仕するイエスに従いましょう。この道は十字架でもありますが、その十字架を通して復活にたどり着きます。この季節に、よりイエスに従う恵みを願いましょう。          
                      
            
                      イエズス会日本管区長
                        レンゾ・デ・ルカ

原本(PDF)
奉仕する神様の姿


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