わかちあい   
イエスの居場所と貧困者のスペース 
イエスの居場所と貧困者のスペース


 「宿屋には彼ら(イエスを身ごもったマリアとヨセフ)の泊まる場所がなかった。」(ルカによる福音書二章七節。)今年の年の黙想で印象的だった箇所である。私たち現代人は、社会の『進歩』の名の下に、日々の生活において常に過度な競争にさらされ、仕事においてより高い効率の追求を自らに課し、社会からの評価に支配され、あたかも神などいないかのようにすべてを自分の頭の中でコントロールしようとし、その様な中で背負いきれない重荷に喘ぎながら命をすり減らし労苦している。将来に対しておおきな可能性を秘めながら今は全く無力に見える幼子イエスの居場所が、生きるという生の現実全般に渡らなくなってきているのである。私の心の中、そして生活の中にイエスの居場所を本気で創ろうとし、広げようとしているのだろうか。今年の黙想ではそれがまず問われた。しかし、この福音の言葉はそれよりももっと大きな広がりを持っていた。
 私は、アジアのスラム街の人々、及びそこでの貧困者の運動と関わっており、また日本で最近急激に増えた野宿者たちと関わる一方で、大学における教育・研究の仕事に携わっている。そのいずれにおいても中心テーマは 貧困である。これらの活動・研究・教育の中で、私が模索したいと考えているのは、貧困の激しさの中にいる人々がかわいそうだから何かをしてあげるといった関わり方、また“貧困の激しさの中にいる人々の声なき声の代弁者となり社会を糾弾して変えていく、といった関わりの道だけでなく、より根元的な第三の道である。それは貧困と抑圧の現場、すなわち社会の闇の中にこそ光があり、貧困者こそが社会に対する新たな可能性を持っていることを信じ、貧困者自身が、自分たちのスペース(社会における居場所)、すなわち経済的、政治的、社会的コンテキストにおいて、貧困者自らが主体的に参加し、変革していけるようなスペースを拡大していくことが、新たな社会の建設につながっていくという道である。それはまたキリスト教が目指す「神の国」の建設に向かう道である。社会の闇においてこそ、十字架に架かって苦しんでいるイエスだけではなく、復活されたイエスがすでに働いている。実際、特に私の知る限り、アジアの大勢の貧困者たちは、日本に住む私たちが思いもつかないような創造性を持って、またコミュニティーを基盤にしながら、かつ主体的に、既存の社会の中に自分たちのスペースをつくり拡大させている。そこには今の日本を含めた先進国の社会いの閉塞感をうちやぶる新たな可能性がある。しかしながら、現状ではまだ彼らのスペースは小さいし、彼ら自身の歩み(ピープルズ・プロセス)を妨げる様々な構造・力・社会の雰囲気が強固に存在している。今の市場至上主義的なグローバリゼーションの進展もそのちからの一つであろう。ここに、冒頭に述べた福音の箇所が響いてきたのである。社会・技術の進歩、効率性の追求、強いられた競争の激化において、私たちの心や社会の中から無力に見えるイエスの居場所が消えていくように、社会全体が効率性を追求することによって、社会の中から貧困者のスペースが狭められて来ている。そして、私たち一人一人の心の中からも貧困者のスペースはなくなっていき、貧困者に思いを馳せる余裕さえなくなってゆく。社会の中、また一人一人の心の中における貧困者のスペースの喪失、無力に見えるイエスの居場所の喪失、人々のいのちの輝きの喪失、社会の創造性の喪失、将来に対する大きな光と可能性の喪失、それらはすべて本質的に同等のものなのだ。従って社会の闇の内にこそ光を見、社会の中、また一人一人の心の中における貧困者のスペースを拡大することが、無力に見えるイエスの居場所の拡大、将来にたいする大きな光と可能性の拡大に本質的に繋がっている。それこそ主の受肉と死と復活の神秘であり
神の国への道なのだ。このような洞察は私のミッションの方向性において何か腑に落ちるものがあった。
 今日、貧困者のスペースが余りにも小さいことは、学問や教育の世界においても同様である。私は経済学が専門なのだが、貧困は非常に大きな経済問題であるにもかかわらず、経済学という学問の世界の中に、今や貧困者のスペースはほとんど存在していない。経済学者で貧困を研究している人は、特に日本ではほとんどいないし、しかもそれを貧困者の視点から行おうとしている人にはほとんどお目にかかれない。教育の世界においても学生の中に貧困者のスペースをつくり、広げていくことに繋がる教育はあまりないように思う。
 私たちイエズス会員は、社会の中、人々の心の中にイエスの居場所を広げて、イエスがもっと自由に働けるように手伝うことがミッションなのだと思う。そしてそのためには、まず私たち自身の心の中にイエスの居場所を広げ、自分の中でイエスが自由に働けるようにしていくことが求められると思う。そしえイエスの居場所を広げるということと、貧困者のスペースを広げていくこととは決して切り離すことが出来ない。貧困者が主体的に、共同性を持って、創造的に社会を変えて行く、そのようなスペースが少しでも、この社会の中に広がっていくように手伝うこと、そのために自分自身の心の中、人々・学生の心の中、アカデミックな世界、そして実際の社会の中で、貧困者のスペースの拡大のために働くことが、当面の私のミッションだと思う。

下川 雅嗣(イエズス会司祭。上智大学外国語学部国際関係副専攻准教授)
 
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