わかちあい   
イグナチオ・ロヨラ 
7月31日
聖イグナチオ・デ・ロヨラ
司祭


 イエズス会創立の中心人物である聖イグナチオは、1491年、スペイン北部バスクのロヨラで生まれた。騎士になるために養成を受けた後、1521年に彼の率いる軍団でバスクのパンプローナをフランス軍の攻撃から守ろうとしたが、城が陥落した際、イグナチオは砲弾に打たれて足に大怪我した(5月20日)。治療のためにロヨラに運ばれ、そこで暇つぶしに『聖人伝』と『キリスト伝』を読んだが、読みながら自分の中で世俗的な夢と霊的な憧れに心が動かされるのに気づいた。これが、後に彼の霊性として著名になった「霊の識別」の始まりだった。
 エルサレムに赴いて主に仕えようと決意をした。1522年3月24日、バルセロナ近くのモンセラートに立ち寄り、聖母像の前で夜を明かし、そこに武具を置いて、巡礼者の杖を手にして近くのマンレサに向かった。数日過ごす予定が一年の滞在となり、やがてすべての人のための『霊操』を、まず自ら体験した。
 その後、エルサレムに渡ったが、現地の責任者に追い返され、バルセロナに戻った。「魂を助けたい」という望みに駆られ、30歳でラテン語を、続いて、アルカラとサラマンカの大学で勉学した。神学勉学の間は霊的指導をしてはならないと宗教裁判所から忠告を受けたので、1528年にパリ大学へ移った。そこでペトロ・ファーヴルとフランシスコ・ザビエルに出合った。この3名と他の4名が、1534年8月15日に清貧と貞潔の誓願をたて、さらにエルサレムに行き、そこで人の救いのために一生を捧げるという約束をした。これが、後にイエズス会まで成長する種となった。
 イグナチオは、1535年に勉学を終えたが、病気となり、故郷で休養するように勧められた。仲間たちの勉学が終わり次第、全員がベネチアに集合し、エルサレムへの船を待つことにした。船出できない場合、キリストの地上の代理者に、神の国のための派遣先を委ねることにした。ベネチアで待機していた1537年に司祭叙階を受け、二人ずつイタリア北部の町で司牧活動を開始した。イグナチオ、ライネス、ファーヴルが先にローマに向かった。出発前に「イエスの仲間たち」と称することにした。ローマ近くのラ・ストルタでイグナチオは「キリストと共に置かれたい」という望みが、神からのものであることを悟った。
 1538年の復活祭前に、仲間たちはローマに集合した。エルサレムに赴くのを諦め、教皇に派遣を願った。一致が危うくなると感じて、1539年の四旬節の間毎晩集まり、修道会として一致団結するという『識別』を行った。『基本精神綱要』を作成し、教皇庁の認可を願い出た。1540年9月27日に認可が下り、イグナチオが総長に選ばれ、ローマ在住の会員は1541年4月22日に盛式誓願をたてた。それ以後、イグナチオは『会憲』を編集しながら、発展し続けるイエズス会をローマの本部から指導した。「神のいっそう大いなる栄光のために」世界の至る所に会員を派遣し、学校などの施設を設立し続けた。1556年7月31日、息を引き取った。

 
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