わかちあい   
クロード・ラコロンビエル(2月15日) 
2月15日
聖クロード・ラコロンビエル
司祭


 クロード・ラコロンビエルは、1641年2月2日、フランス南部に生まれ、リオンのイエズス会学校で学んだ。1658年10月25日、アヴィニョンでイエズス会に入会し、第一勉学期を終えて、アヴィニョンの学校で文法や文学を5年間教えてからパリで神学を学び、そこで1669年4月6日、叙階された。翌年、リョンに戻り、修辞学を教える傍ら、1673年に学校つきの教会での説教も担当した。翌1674年、第三修練の黙想の選定として、イエズス会の会憲や規則を徹底的に守る誓願をたてた。それは、彼を束縛するどころか「大きな喜びと完全な自由の源」となったと言っていた。
 1675年2月、田舎町パレ・ル・モニアルにイエズス会修道院の院長として派遣された。そこで聖母訪問会の修道女、マルガリタ・マリア・アラコクと出会った。彼女は、主イエスからみ心の内なる富に関する啓示を受けたと言っていたが、同僚修道女の間では惑わされているのではないかと思われてかなり苦しんでいた。しかし彼女は主からの言葉として、「私は忠実なしもべ、特別な友をあなたのところに遣わす」と承っていた。クロード神父が修道院に訪れた際、「彼こそその人だ」という内的声を聞いた。彼はマルガリタ・マリアの相談を受け、彼女に与えられた啓示が真に神からのものだと識別した。
 同じ年の6月、ご聖体祭日後の8日間の間、み心の信心に関する特別な依頼が主からあった。8日間が終わって翌日の金曜日を償いの日として特別な記念日として制定されるように図ってほしいという依頼だった。そしてクロード神父がそのため尽力してくれるだろうと言われた。それで早速6月21日に主のお言葉の通り、二人だけでささやかにみ心の祝日を行った。
 翌1676年、ラコロンビエルは、イギリス人司祭は皆追放中のロンドンに派遣された。それは熱心な信者だったヨーク公妃、モデナのマリアの宮廷で説教し、公妃の霊的指導をするためだった。具体像として「イエスのみ心」に表される人類への愛をテーマにしたクロード神父の説教は、公妃に深い感動を与えたようであり、何年か後のこと、イエスのみ心の祝日を制定されるように教皇イノセント12世に願い出た王室は、このモデナのマリアが最初だった。1678年11月、ラコロンビエルは反逆の偽証罪で逮捕され投獄されたが、空気の悪い牢の中で健康を損なったので、1679年1月、フランスに返され、病弱のままでリオンの学校で指導司祭を務めた。1681年8月に目上は気候の良いパレ・ル・モニアルに再び彼を送ったが、そこで翌年の2月15日に亡くなった。
 クロード・ラコロンビエルは、1929年6月16日、教皇ピオ11世によって列福され、1992年5月31日、ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。
 「イグナチオの使徒的精神を心底まで取り入れていた彼は、神を愛しようと思えば、同じ愛を尽くして主が私たちの人生の途中で出会わせてくださる人々をも愛しなければならないと言っていた。」(P-H.コルベンバッハ総長、AR XX [1992], 727)

 
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