わかちあい   
イエズス会の母聖マリア(4月22日) 
4月22日
イエズス会の母聖マリア


 1541年4月22日、イグナチオとローマ滞在の5人の仲間が修道者として誓願をたてた。イエズス会は前年の9月27日に正式に認可され、会憲を作成する許可が与えられた。この会憲に従い、最初の投票によってイグナチオは総長として選ばれたが、辞退したので、2回目の投票の結果、再び選出された。聴罪司祭の助言を受けて、4月19日に投票の結果を受け入れることにした。三日後(復活後の金曜日)、ローマにいる会員は、まず七教会の巡礼をし、城壁の外の聖パウロの教会で互いに告白し、聖母像の前でイグナチオが司式したミサのなかで、誓願をたてた。その誓願文は今日も使用されている誓願文である。
 イグナチオは自らの回心の出発点を、1521年8月ないし9月のある夜、聖母が幼子イエスを抱いて現れた時と考えた。晩年の1555年に語ったところによると、「聖なる幼子イエスと一緒に聖母の姿を見た。この出現のおかげで、かなり長い間満ち溢れるほどの慰めを感じた。あまりにも自らの過去、特に貞潔に反する行為への嫌悪感を体験していたので、以前自らの記憶に刻まれていた映像がことごとく払しょくされたという印象を受けた。」
 1522年24日から25日にかけて、イグナチオはお告げの祝日の前夜からモントセラートの黒い聖母像の前で武具を脱ぎ捨て、聖母の騎士となって聖母マリアとその御子イエスにすべてを捧げることにした。マンレサにいる間、たびたび聖母が現れてくださったし、いつも自分自身を御子とともに置いてくださるように祈った。パリの仲間たちがモンマルトルで最初の誓願をたてたのも1534年8月15日、聖母被昇天の日だった。イグナチオが初ミサをたてたのは、1538年の降誕祭に聖マリア・マジョーレの大聖堂であった。イグナチオと仲間たちは、聖母の絶えざる保護を必要とすると、生涯考えていた。イエズス会の「誕生日」となるこの日に、私たちはイグナチオの勧めに従い、聖マリアが母として保護してくださることをたたえる。
 なお、以前この日はイエズス会の「元后」を記念する日として知られていたが、第二バチカン公会議後、1971年に典礼暦が改訂された際、イエズス会の「母」と称することになった。

 「会員は、自己の仕事や務めのうちにあって聖母マリアの保護にも信頼をよせ、どのような場合にも、救済計画において占めておられる救い主の御母の役割をいっそう明瞭に示さなくてはならない。聖なる教会とイエズス会の伝統のうちに、『聖母マリアはつねにキリストに次いで高い地位にあり、同人に私たちにもっとも近い位置を占めておられるのである』(第二バチカン公会議、教会憲章54番)。」(31総会、第27教令2番)

 
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