わかちあい   
ベルナルディノ・レアリノ 
7月2日聖ベルナルディノ・レアリノ、司祭

(7月2日に祝う6聖人、2福者は、自らの地域で司牧活動に従事する会員の司牧活動の守護者と模範である。)
 ベルナルディノ・レアリノは、1530年12月1日、イタリアのモデナ近くのカルピで生まれた。モデナでギリシャ語やラテン語を習得し、1548年、ボローニャ大学に移り、哲学と医学を2年学び、出世を考えて、法律に転向した。1556年6月に学位を取得し、父親の仲介で、ミラノの枢機卿でも市長でもあった人物によって、フェリッツァノの市長兼裁判官と任命された。任期が満ちた時、裁判官として誠実であり、毎日ミサに参加していたことから、市民は再任を求めた。その後、いくつかの場所で行政長官を務め、1564年、33歳でナポリに赴き、ある貴族に仕えた。
 ナポリで二人の修練者を見て感心したが、それはイエズス会との最初の出会いであった。それからイエズス会の教会で説教を聞き、感動したので、総告解をするためにその説教をした神父に会い、8日間の黙想のテーマを勧められた。彼に心に平和が訪れたばかりでなく、聖母が現れてイエズス会に入るように命じたので、1564年10月13日に入会した。ブラザーになろうかと思ったが、司祭に進むよう勧められた。初誓願をたてた後、突然司祭叙階の準備をするように言われ、翌1567年の5月24日、叙階を受けた。入会後3年、まだ神学学習の最中であったが、ボルハ総長は彼をナポリの修練長に任命した。彼の極めて賢明で堅固な判断力は、養成期間の短さを補って余りあるものであった。説教や要理教育、ナポリ湾の碇泊している船に閉じ込められた奴隷たちの霊的世話、告解所での聴罪などに献身した。霊的指導が彼特有のカリスマであった。
 1574年、イエズス会の会宅と学校の設立のために、アプリア地方レッチェに派遣された。レッチェの人々はたいへん喜び、すぐに家、そして教会、その後学校もイエズス会に提供した。レッチェにおけるレアリノの司牧活動は42年間にわたり、死ぬまで続いた。説教をし、告解を聴いた。病人や囚人を訪問した。他の修道会で講話をした。司祭たちを指導し、告解の上手な聴き方を教えた。レッチェでは多くの癒しや奇跡が起きたが、人々はレアリノ神父のとりなしの祈りのお陰だと考えた。
 1616年6月11日、死の病を得た。言葉を使えなくなったが、意識ははっきりしていた。多くの人々が集まり、遺物となるものを手に入れようとした。市長や行政担当者が訪れ、レアリノが天国でレッチェの守護者となるように正式に依頼した。弱っていた神父のため息は、承諾と介された。7月2日、十字架を見つめながら、「聖なるマリア様」とはっきり口にして、帰天した。1895年9月27日、教皇レオ13世によって列福され、1947年6月22日、ピオ12世によって列聖された。
「わが会は以前、普通のレジデンスで見られる会員生活や司牧活動に対する格別の模範に欠けていた。…(彼は)青少年の養育者、優れた霊的指導者、告解所・刑務所・病院で苦しんでいる人々の慰め主、神のみ言葉のたゆまない宣教師(であった)。」(J-B.ヤンセンズ総長、AR XI [1947], 303)

 
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