わかちあい   
レオ・マンジャン、聖パウロ・デン、聖レミー・イゾレー、 聖モデステ・アンドラウアー 
7月9日
聖レオ・マンジャン、聖パウロ・デン、聖レミー・イゾレー、
聖モデステ・アンドラウアー(司祭)と同士殉教者
(中国120殉教者)


 1955年4月17日、教皇ピオ12世は本日記念されるフランス人会員4名と52名の信徒を列福した。この人たちは皆、義和団の乱の間 (1898-1900年) 殉教した。また、2000年10月1日、ヨハネ・パウロ2世によってこの56名は、300年の間中国で殉教した人々と共に、120名の殉教者として列聖された。
 1858年の天津条約により、カトリック宣教師が再び中国に入ることが許可され、洗礼と教会の数が増えた。他方、信徒は儒教や公的宗教行事への参加を拒んだり、不平等条約を押しつけられたり、教会建設のための強引な土地買収が繰り返されたりしたので、排外感情が急に高まり、信徒は反逆者と見なされた。拳法と深くかかわっていた結社が、19世紀末、キリスト者を迫害し始めた。義和拳を行う義和団が1898年に創立されると迫害は本格化し、数万人もの信徒が殺害された。
 聖レオン=イグナス・マンジャンは、フランスのメス近郊で1857年7月30日に生まれ、1875年11月5日に入会し、ルーヴァンで学び、リエージュで教鞭を執ったが、1882年に中国に派遣された。中国語と神学をレミー・イゾレーと共に学び、二人とも1886年7月31日に司祭叙階を受けた。1900年に周家河に配属された頃、その地域には義和団攻撃から逃れた信徒がすでに集まっていた。マンジャン神父は食糧を蓄え、村を要塞化し、手伝ってもらうためにポール・デン神父を呼んだ。
 聖ポール・デンは、1847年4月1日、フランスのリールで生まれた。彼は銀行員として積極的に信徒職に参加していた。1872年7月6日入会し、間もなく中国に派遣され、1880年12月19日、司祭叙階を受けた。1900年7月20日、マンジャン、デン両神父は、義和団と応援に来た2千の皇帝直属の軍に対抗し切れず、教会に集まっていた信徒たちとともに射殺された。
 聖レミー・イゾレーは、1852年1月22日、フランスのバンベックで生まれた。教区司祭になるための勉学を終えて、1875年11月20日、イエズス会に入会した。1882年に中国に派遣され、そこで会員としての勉学を終了し、1886年7月31日、司祭に叙階された。曲周に配置されていたが、獻縣のイエズス会の家で休養していたところ、曲周が義和団に攻撃されそうだと聞いて、自らの派遣先に戻ろうとして、武邑のアンドラウアー神父の教会に立ち寄った。
 聖モデステ・アンドラウアーは、1847年5月22日、アルザス地方のロセムで生まれ、1872年10月8日入会し、1877年9月22日に叙階された。彼も1882年に中国に入国した。1900年6月19日にイゾレー神父と一緒に武邑の聖堂の中で祈っていたところ、義和団員が乱入して両師を刺し殺した。
 「自分の命を危険にさらしても、よい羊飼いとして群れと共にいることを選びました。…この兄弟たちが、最も困った人々に奉仕する私たちの励ましとなりますように。」(P-H.コルベンバッハ総長、AR XXII [200], 692-693)

 
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