わかちあい   
聖ペトロ・クラベル 
9月9日
聖ペトロ・クラベル
司祭


 ペトロ・クラベルは、1580年6月26日、カタロニア地方のベルドゥで生まれた。バルセロナ大学で学んでいた頃、イエズス会と出会い、1602年8月7日、入会した。哲学の勉学のために1605年パルマ・デ・マジョルカのモンテシオンという学校に送られた。そこで高齢者のブラザー、アルフォンソ・ロドリゲスと毎日のように語り合った。ロドリゲスはクラベルに、宣教師として「新世界」に赴き、神のために偉大なることをするようにいつも諭していた。
 宣教地に行く望みを抱いていたが、1608年クラベルは神学の勉強のためにバルセロナに送られた。しかし突然1610年、南米に出発するように命じられた。現在のコロンビアにあるカルタヘナに渡り、神学期間をボゴタで終え、1616年3月19日、カルタヘナで司祭叙階を受けた。このカルタヘナは毎月アフリカ西部から奴隷を満載する船の港だった。そこでクラベルは、先輩の宣教師、アロンソ・デ・サンドバルが書いた『黒人たちの救いについいて』という本から大きな影響を受け、自らの伝道活動の手引きとにした。クラベルは残る人生を船で運ばれてくる奴隷に掛けて、「奴隷の使徒」となった。1622年、最終誓願文の署名には、「ペテロ・クラベル、いつまでも奴隷の奴隷」とあった。
 奴隷船が着くと、ペトロと通訳者は、食物や医薬品であふれた籠を抱えて、乗船した。甲板にいる奴隷を世話して、悪臭漂う船底まで降りて病人や瀕死の人たちに手当てをした。奴隷が上陸した後も、クラベルたちは毎日訪ねて、体と心に糧を分け与えた。長年にわたる奉仕の結果、自らの概算によると、約30万人に洗礼を授けた。やがてすべての奴隷が競売にかけられて、各地に連れて行かれたが、クラベルは可能な限り、村や農場を回り、彼らの信仰を強め、結婚を祝別し、子どもに洗礼を授けるなどの世話をした。
 断食や苦行などいつも自らに厳しいクラベルは1650年南米に流行したペストに倒れた。ミサや霊的奉仕もできなくなった。彼の世話をするはずの奴隷は、かえって彼を虐待した。カルタヘナの人々は臨終だと聞き、人種を問わず、多くの人が校内の部屋に駆けつけた。ついに1654年9月8日、永眠した。巨匠アルフォンソ・ロドリゲスの教えを成し遂げたのである。「すべての人の中に神を求め、神の似姿であるその人々に仕えなさい」と。
 1851年9月21日、教皇ピオ9世によって列福され、1888年1月15日、レオ13世によってアルフォンソ・ロドリゲスとヨハネ・ベルクマンスと共に列聖された。1896年、黒人へのすべての宣教活動の守護者と定められた。クラベルは特に隣人愛のため、また人種差別の壁を越えた人として尊敬されている。
 「最も貧しい人、皆にさげすまれた人、人間ではなく売買の対象と見なされた人を捜し求めた。病気の人、見捨てられた人、高齢や病気のため金銭的な価値のないため排斥され忘れ去られた人に、自らの心を注ぎ尽きた。」(P.アルペ総長、AR XVIII [1980], 358)

 
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