わかちあい   
ディエゴ・デ・サンビトレス 
10月6日
福者ディエゴ・デ・サンビトレス
司祭、殉教者


「マリアナ諸島の使徒」ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレスは1627年11月12日、ブルゴスの貴族の家に生まれた。14歳に達していなかったが、反対する家族を説得して、1640年7月25日に入会した。(名前はディエゴ・ヘロニモだったが、崇敬する聖アロイジオに因んで自ら名前をディエゴ・ルイスに変えた。)
ディエゴは1651年12月23日、司祭に叙階された。中国か日本に派遣されることを望んだが、最初の任地は教育関係だった。1659年についに海外に派遣されることとなったが、フィリピンへの派遣だった。1660年、スペインを後にして、メキシコ市に渡った。そこで、小教区、町の広場、病院などで、活動した。やがて、1662年にフィリピン行きの船に乗った。
 同年7月10日にマニラに着いた。3ヶ月ほどタガログ語を学び、まず修練長、後に大学の教務部長を務める傍ら、マニラ近郊各地でも宣教活動をしたが、別な方向に心を向けていた。太平洋を渡る途中で船が立ち寄ったラドロネス諸島(盗人諸島という意味)でいずれ宣教活動を開始しようと考えていた。1664年、スペイン国王フェリペ4世に手紙を送り、そこで新しい宣教地を開くように勧めた。王はそれを認め、サンビトレスに依頼した。
 1667年にディエゴは国王総代理から委任状や援助金を受け取るため、まずメキシコ市に戻り、会員5名を率いて再び航海し、1668年6月16日、グアム島に着いた。(フェリペ4世は1665年に死んだが、その後も援助を送り続けた王妃マリアナに因んで、ラドロネス諸島はマリアナ諸島と改名された。)
 ディエゴはすでに現地の言葉を話し、難破して30年前からグアムに住んでいたスペイン人の介添えもあり、アガニアの首長と会って、アガニアを本拠地にすることが許された。首長がいち早く洗礼を受けたので、6ヶ月のうちに1万3千人の洗礼があったという。サンビトレスはサイパンとティニアンといった大きな島にも出かけて宣教し、他の会員も他の小さな島で活躍した。
 1670年にルイス・デ・メディナ神父がサイパンで殺害され、マリアナ諸島の最初の殉教となった。サンビトレスの番は1672年4月2日に回ってきた。一人の信徒を伴ってトゥモンという村に入ると、宣教初期の受洗者マタパングの小屋から新生児の産声が聞こえたので、彼は洗礼を授けることを申し出たが、マタパングの怒りを買い、神父を殺そうと、ヒラオという仲間の援助を頼みに出かけた。その隙に、母親は幼児の命が危ういと思い、ディエゴは洗礼を授けた。マタパングは帰ってきて、付添いの信徒の胸を槍で突き刺した。仲間のヒラオは短剣でディエゴの頭を真二つに切った。二人の遺体はカヌーで沖に運ばれ、海に投棄された。
 1985年10月6日、ヨハネ・パウロ2世はディエゴ・ルイスを福者の列に加えた。
 「いかなる災厄にも同僚の殺害にも屈せず、マリアナ諸島の宣教開始のため熱心に働いた。また長上として、窮地に追いやられた会員を惜しみなく世話し、力づけた。」(P-H. コルベンバッハ総長、AR XIX [1985], 320)

 
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