わかちあい   
ドミニコ・コリンズ 
10月30日
福者ドミニコ・コリンズ
ブラザー、殉教者


 ドミニコ・コリンズは、1566年ごろ、アイルランドのコーク地方ヨールで地位の高い家庭に生まれた。11歳の時、イエズス会はヨールで学校を開いたが、政府の圧力があり、わずか3年で廃校になった。ドミニコがこの学校に通ったかどうか定かではないが、たしかに若い頃ラテン語を学んだ。
アイルランドではカトリックの青年に就職口がなかったため、彼は20歳の時フランスに渡り、数年間宿屋で働き、フランス語を十分覚え、カルヴァン派と戦うカトリックの神聖同盟の兵士となった。9年間兵役に服して大尉となり、フランス北西部ブルターニュ地方のある地区の司令官に任命された。まもなくこの任務をスペイン軍の将軍に譲り、その代わりにスペイン国王フェリペ2世宛ての紹介状をもらった。このお陰でドミニコは毎月の恩給をもらい、スペイン北部のラ・コルーニアの軍港に配属された。そこには多くのアイルランド人兵士が配置されていた。
 そこで、兵士たちの聴罪司祭としてやってきたアイルランドのイエズス会員、トマス・ホワイト神父に出会った。ドミニコは立身出世や従軍生活に飽きたと言い、むしろ永遠の王に仕えたいと話した。現地のイエズス会員に紹介されたが、彼の召命を確認するためか、入会は延ばされた。やがて、1598年12月8日、ブラザーとしてサンティアゴ・デ・コンポステラで入会した。そこで高級将校だったドミニコは、へりくだって家の仕事をしたり、命がけでペストに倒れた病人の世話をしたりして、まだ志願者の身分であったが、会員に深い感銘を与えた。
 1601年に、ドミニコは従軍司祭ジェームズ・アーチャー神父に同伴するよう任命を受けた。アイルランドのキンセールをイングランド軍から奪回することをもくろむアイルランド軍の応援にスペインの遠征隊が出帆したが、ラ・コルーニアに戻らなければならなかった。やっと彼がアイルランドに着いた頃には、キンセールはすでに陥落していた。ドミニコはアーチャー神父を探し当てて、アイルランド軍が取り戻したドゥンボイ城に入ったが、1602年6月17日にその城塞もイングランド軍によって陥落し、ドミニコは捕虜となった。彼を預かったイングランド軍の将軍は優遇を約束したり、親族に説得させたり、拷問をしたりして棄教を迫ったが、無駄だった。7月9日に死刑の宣告を受け、コークの刑務所に留置された。ついに、10月31日、故郷のヨールで反逆者として絞首刑になった。
1579年から1654年までに殉教した、他のアイルランド人16名と共に、1992年9月27日、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
 「福者ドミニコ・コリンズが、私たちにも主の呼びかけに耳をふさぐことなく、無条件にはっきりと、『直ちに、また熱心に』信仰を告白し宣言することができる恵み、しかもそれを確実に、完全に成し遂げる恵みを求めてくださるように祈ります。」(P-H.コルベンバッハ、AR XX [1992], 751)

 
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