わかちあい   
アルフォンソ・ロドリゲス 
10月31日
聖アルフォンソ・ロドリゲス
ブラザー


アロンソ(アルフォンソ)・ロドリゲスは1533(?) 年7月25日、スペインのセゴビアで生まれた。イエズス会との最初の出会いは、子どものころだった。1541年にピエール・ファーヴルが彼の家に滞在し、初聖体の準備を指導した。アロンソはアルカラでラテン語を勉強していたが、1546年、父親の死に際して実家に戻り、ウールなどの服地商を継いだ。1560年ごろ結婚したが、10年のうちに妻も3人の子供も天に召された。傾いた家業を整理し、度重なる不運や失敗のため長い間すさんだ生活を送った。前非を悔い、祈りや苦行の日々を送るなかで、新たにセゴビアに配属されたイエズス会の神父たちに指導を求めた。
1568年に入会を願い出たが、年齢、健康状態、教養の面で支障があるとされ、断られた。霊的指導者ルイス・サンタンデル神父がバレンシアに移動した際、アロンソもバレンシアに移り、司祭になるためにラテン語を学び始めた。1570年に改めて入会を申し出たところ、アラゴンの管区長は二人の面接官の反対意見を退けた。1571年1月31日、アロンソはブラザーとして入会する許可を受けた。37歳であった。その年の8月、パルマ・デ・マヨルカの新設校モンテシオンに派遣され、その後46年間、1617年10月31日にこの世を去るまでそこに留まり、おもに玄関番を務めた。
玄関のベルが鳴ると、「ただいま、主よ」と言いながら、アロンソは来客を快く迎え、来客を受けた神父や学生を探し回った。多くの人は彼の賢明なアドバイスを求めに来た。謙虚さ、心優しさ、従順、また聖母マリアに対する熱心な信心は優れたものであった。また、自らの罪深さを心の奥でいつも感じていたが、落ち込むことなく、かえって神との交わりを妨げる要因をすべて乗り越えるのに役立った。書き残した文書から明らかなように、アロンソは深い神秘的体験に恵まれていた。
しかも、意地悪な命令に従うほど、天真爛漫な面もあった。管区長の公式訪問中、食堂で聖書朗読後、管区長から、「ブラザー・アロンソ、ギリシャ語で少し説教してくれないか」と言われたアロンソは、慌てずに説教壇に上がり、「キリエ・エレイソン、クリステ・エレイソン、キリエ・エレイソン」を一分間、止められまで繰り返したという逸話も残っている。
アロンソ自身は外国に出かけることもなかったが、モンテシオンの若い学生の心に宣教地への派遣を望む熱意を大いに駆り立てた。その者こそ、後に南米に連行された「奴隷たちの使徒」となったペトロ・クラベルである。
1825年6月12日、教皇レオ12世によって列福され、1888年1月15日、レオ13世によってペトロ・クラベルと共に列聖された。
「このような偉大な保護者のとりなしは、私たちにも、会憲が要求するように、『キリストにおいてまったく謙遜な、思慮深い人物、また純粋にキリスト的生活の面で優れた』者(基本精神綱要no.9)となる恵みを受けるのに大きな助けとなることでしょう。」(Wレドホフスキー総長、AR II [1917] 394)

 
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