わかちあい   
ルーペルト・マイヤー 
11月3日
福者ルーペルト・マイヤー、司祭

 ルーペルト・マイヤーは、1876年1月23日、ドイツのシュトゥットガルトで生まれた。5年間の内に3つの異なる大学と神学校で学んだ末、1899年に司祭に叙階された。翌1900年10月1日にイエズス会に入会し、8年間の養成期間を終え、3年間多くの小教区教会を巡りながら信徒を養成した。1912年にミュンヘンに派遣され、農業地帯から大都市に流入する人々の司牧に当たった。移動してきた人々を捜し当て、家や仕事を探すのを支援しながら、彼らが教会とのつながりを持つことができるように努めた。若い女性を助けるために女子修道会の設立に尽力した。
 第一世界戦争が勃発した時、ルーペルトは志願して従軍司祭となった。戦火の中でも英雄的に惜しみなく奉仕し、後に一級鉄十字勲章を受けた。1916年12月30日にルーマニアの戦線で重傷を負い、左足が切断されるにいたった。義足をつけて再び歩けるようになり、ミュンヘンに戻り、使徒的活動を再開した。信徒の協力者、特に男子のコングレガチオ・マリアナのメンバーとしっかりと協力して、ミュンヘンの隅々まで人々の魂の世話をした。鉄道の中央駅待合室でも日曜日のミサがささげられるように手配した。
 ルーペルトは当初から共産主義運動に反対していたが、ヒトラーの指導のもとにあるナチスの運動が台頭し始めた時からその本性を見抜き、真向こうから反対した。早くも1923年、カトリック信徒は決してナチス党員になってはいけないと公に忠告していた。1933年にヒトラー政権が誕生した後も、ナチスの全体主義とユダヤ人を排斥する政策に対して敢然と戦い続けた。3度もゲシュタポに逮捕され、「国家に反逆する運動を支持した」というかどで投獄された。ついに、1939年、ベルリン北方のザクセンハウゼン強制収容所に移されたが、従軍障害者であったため病棟を割り当てられた。そこで極めて衰弱し、殉教者が出たと思われるのを避けて、ナチスは翌年8月5日、ミュンヘン南のエッタールにあるベネディクト会修道院に送られた。1945年5月の終戦まで、その敷地内に軟禁された。
 戦後ミュンヘンに戻り、再び司牧活動を始めた。5月27日、コングレガチオ・マリアナのメンバー何千人もが旧知の指導司祭を囲み、再会を祝した。その時彼は、「神はここまで生き残った私たちに大切な務めをお与えになっているはずだ」と言った。しかし、間もなく、1945年11月1日、脇祭壇で諸聖人の日の福音である至福八端について話そうとした時、脳溢血を起こし、義足に支えられ立ったまま祭壇に寄りかかり、息絶えた。
ルーペルト・マイヤーは教皇ヨハネ・パウロ2二世によって、1987年5月3日、ミュンヘンで列福された。
 「マイヤー神父の働きは、つねに世の中を正しく読み取ろうと努め、社会の大変動に立ち向かうための新しい試みを探る使徒的活動の良い例となります。」(P.-H. コルベンバッハ総長、AR XIX [1987], 1030)

 
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