わかちあい   
ロケ・ゴンザレス、ホアン・デル・カスティヨ、アルフォンソ・ロドリゲス 
11月16日
聖ロケ・ゴンザレス、聖ホアン・デル・カスティヨ、
聖アルフォンソ・ロドリゲス
司祭、殉教者


 この殉教者たちの物語は、南米の「保護統治地区」の歴史と重なるものである。今日のパラグアイ、ウルグアイ、ブラジル南部、アルゼンチン東北部の各地で先住民のために設立された保護統治地区は、理想的キリスト教共同体と言うことができよう。そこで先住民は、キリスト教を学ぶと同時に、略奪しようとするヨーロッパ人の搾取の手から保護され、安定した生活を送ることができたのである。
 ロケ・ゴンザレスは、1576年、パラグアイのアスンシオンでスペインからの植民の家庭に生まれた。1587年、アスンシオンでイエズス会学校が開校された時からそこで勉強を続け、1599年3月25日、教区司祭として叙階された。先住民の言語、グアラニー語に精通し、アスンシオン近郊の部族に福音宣布のために派遣された。かなりの成功を収め、アスンシオン大聖堂の主任司祭に任命された。さらに司教総代理になる可能性が浮上した時、教会の管理職を避けるために、イエズス会への志願を申し出て、1609年5月9日に入会した。
 修練者の頃から、イタリア人神父に同伴する派遣を受けた。その頃アスンシオン近辺のグアイヤクルー族がスペイン人のみならず他のインディオスの村をもたびたび荒らしていたので、この戦乱を終結するための派遣だった。その派遣は成功裏に終わった。修練が終わって1611年から4年間、パラグアイ川沿いのサン・イグナチオ・グアズーの保護地区に配属された。その後さらに北に移り、イタプアーのエンカルナシオンから始まり、12年間パラナー川沿いにいくつかの保護地区を開いた。彼自身も先住民と同じ生活をし、教理を教えたり祝日を祝ったりする際に、人々が好きな音楽や活気のある祭りを活用した。農業や家畜業の基本を教え、家の建築を指導し、学校や教会を開き、印刷機も作り、病人係も務めた。1619年、ウルグアイの密林から酋長がやって来て、自分のところでも同じような働きをして欲しいと依頼した。彼はウルグアイに初めて踏み入ったイエズス会の会員だった。
 彼の物語の残りは、スペインから来た二人の宣教師の物語と重なる。
 アロンソ・ロドリゲス・オルメードは、1599年3月10日、スペインのザモラで生まれ、1614年3月25日、入会した。1616年に南米に派遣され、まず勉学のためアルゼンチンのコルドバに赴いた。1624年ごろ叙階され、パラグアイの保護統治地区に配属された。1628年、イタプアーにいた時にゴンザレス神父が来て、次の任地に同伴して欲しいと依頼した。それは、ゴンザレスの最後の任地となった。
 二人は現在のブラジルのカアローに、11月1日に着いた。そのため、トドス・ロス・サントス(諸聖人)と名づけて十字架を立てた。そこでネズーという地元の呪術師が、インディオスの間で成功を収めている宣教師に対して嫉妬を抱き、人々の関心を呼び戻すために、宣教師たちを片付けることにした。11月15日の朝、アロンソ・ロドリゲス神父は森林の中に、聖堂の鐘を吊り下げるためのさおを探しに行っていた。彼が村に戻ってきたところ、ロケ・ゴンザレス神父はちょうどミサを終えて聖堂から出てきた。今度はロドリゲスがミサを捧げに聖堂に入っていくと、外で騒ぎが起こるのが聞こえた。出て見ると、鐘の近くで石の斧によってゴザレス神父が打ち殺されていた。次にロドリゲス神父が襲われ、頭を打たれた。両師の遺体は聖堂の中に投げ込まれ、聖堂に火が放たれた。
 ホアン・デル・カスティヨは、1596年11月14日、スペインのベルモンテで生まれ、初めにアルカラで法律を学んだが、間もなく入会の志を持つようになった。1614年3月22日に入会し、1616年、アロンソ・ロドリゲスと共に南米に赴いた。コルドバでの勉学を終え、1625年11月に叙階されて、チリのコンセプシオンで2年間文学を教えた。
 次いでサン・ニコラスという保護統治地区に配属されたが、1628年、イタプアーにいたところ、8月にゴンザレス神父が訪れた。デル・カスティヨ神父を同伴者としてイユイーに連れて行き、そこに宣教拠点を8月15日に設立した。そのため、その地をアスンシオンと名づけた。そこにデル・カスティヨを責任者として残し、ゴンザレスはロドリゲスを伴ってカアローの諸聖人宣教拠点を設立に出かけたが、上述した結末となった。
 ネズーが次に狙ったのはホアン・デル・カスティヨ神父だった。11月17日午後、神父が聖務日課を唱えていたところに、ネズーの手下がやってきた。神父は仲間の殺害のことをまだ知らず、この人たちを疑う理由もなかった。彼らは神父を森林の中へ引きずり込み、裸にして撲殺し、遺体に火をつけた。
 他の会員はこの殉教者の遺骨を集めて、コンセプシオン保護統治地区で共同墓地に葬った。
 1934年1月28日、教皇ピオ11世によって列福され、1988年5月16日、ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。聖ロケ・ゴンザレスは初めての、そして現時点で唯一のパラグアイ人の聖人である。
 「ロケ・ゴザレス神父とその協働者は、イエズス会とその宣教活動史の中で『保護統治地区』を設立するという重要な意義とヴィジョンを持つ、宗教的・社会的働きの先駆者だったと言えよう。保護統治地区は全人的な宣教方法であり、インディオスの特徴や権利を重要視し、彼らの文化に根を深く下ろしながら、彼らを新しい共同体作りに導き、あらゆる搾取の手から彼らを守り、彼らがキリスト者として、また個人や共同体として信仰の道を進むように導いたのである。」(P-H.コルベンバッハ総長、AR XX [1988], 36)

 
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