わかちあい   
ベルナルド・デ・オヨス 
11月29日
福者ベルナルド・デ・オヨス、司祭

ベルナルド・フランシスコ・デ・オヨス・イ・セニャは、1711年8月21日、スペインのバヤドリッド近辺で生まれた。誕生日前日に祝われる聖ベルナルドと受洗教会の守護者聖フランシスコにちなんで、また聖フランシスコ・ザビエルの保護を願う意味で、ベルナルド・フランシスコと命名された。1721年にメディナ・デル・カンポのイエズス会学校に入学し、翌年同会のビヤガルシアの学校に転校した。学院の隣にあった修練院に入ることを望んだが、若すぎるとして断られた。しかし召命を祈り続けて、1726年7月11日、15歳になる一ヶ月前に入会許可が与えられた。
修練者の時、聖ヨハネ・ベルクマンスを模範とし、彼の取りなしを願った。数ヶ月後、神と深く交わる体験を持ち、イエス、聖母マリア、聖イグナチオ、アビラの聖テレジアなどと語り合い、励ましを受けた。1728年7月12日、初誓願をたてた時、イエスの言葉を聞いたという。「私はあなたを愛し、今日から私はあなたとさらに親しく一致する。」
哲学をメディナ・デル・カンポで学び、1731年にバヤドリッドで神学を学び始めた。1733年5月に神学を学んでいる時、ある友人から依頼を受けた。説教の準備のため、ヨセフ・ガリフェー神父が書いた、イエスのみ心に関する信心書の数箇所を書き写して送付してほしいとの依頼だった。これは、イエスのみ心の信心とベルナルドの最初の出会いであり、深い感銘を受け、その信心を広めるために自らを奉献した。その翌日から、イエスが数回彼に現れ、み心の豊かさを示し、み心の信心をスペインで広めるように依頼された。
 ベルナルドはこの信心に全身全霊を注ぎ込むようになった。司祭たちに教会の説教で、この信心に触れるように頼み、スペインにみ心の信心会を導入した。ローマ教皇庁がみ心の祝日をスペインでも祝うことを許すように、国王フェリペ五世や司教たちに働きかけた。指導司祭であったホアン・デ・ロヨラ神父に『み心に隠されている富』という題の本を書いてもらい、王族や司教などの高位の人々に贈呈した。また、祈りのしおりを何千枚も信徒に配布した。
 24歳という年齢は司祭叙階に若すぎたが、長上は特別免除を得たので、1735年1月2日、同級生と共に叙階された。同年9月に第三修練を始めたが、大黙想のすぐ後、11月19日に腸チフスにかかり、11月29日に帰天した。彼自身はみ心の黙想会を開くこともできなかったが、彼の貢献が大きかったため、スペインで最初の「み心の使徒」と呼ばれている。
 2010年4月18日、教皇ベネディクト16世によって列福された。
 「ベルナルド・デ・オヨスは神の人であり、… 心の炎を教会に燃え移らせようと努める忠実な教会の子であった。… 『これらのことを知恵ある者や賢い者には隠した』御父がイエズス会に恵みを与え、ゆるしと和解を必要とする世界の痛みや暴力を受けて刺し貫かれた主イエスに喜んで応える使命を果たすことができますように。」(A.ニコラス総長、2010.04.12の手紙)

 
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