わかちあい   
第4 教令 会員生活における従順 
第4 教令
会員生活における従順


はじめに
1.  従順は、イエズス会のミッションと一致の要である。また従順は、聖イグナチオがよく語っていた「ペトロの後継者および地上におけるキリストの代理者」である教皇とイエズス会を結ぶ特別なきずなである。そのため、イエズス会は常に従順の生活を深め、新たにしなければならない。近年4 回の総会はこのテーマを取り上げたが、この35総会はこれまでの総会の指針と規程を確認する。1 さらに、現状に適応した励ましと導きの言葉を言い加える必要があると感じている。これはまた、第四誓願を熟考するようにとの教皇の要請に応える2 ものでもある。そこで、第二バチカン公会議の教えにしたがって、3 聖書と会の創立者のカリスマを再考することから始めることにする。

聖イグナチオと最初の仲間たちの経験
2.  イグナチオと最初の仲間たちの奉仕の神秘的精神は、霊操の体験に基づいていた。彼らは、第1 週の黙想4 のなかで、キリストのうちに注がれた神の慈しみ深い愛と出会った。第2 週の観想、特に「永遠の王の招き」5 を通して、彼らは「より重大な奉献をし…その働きに身も心もささげる」6 ように呼ばれていると感じた。「二つの旗」7 の黙想では、「主の霊の恵みとして、キリストとその力とに一致する」8 ために、キリストの旗のもとに置かれるように祈った。一人ひとりは、「キリストが考えるように考え、キリストが望むように望み、キリストが記憶するように記憶し、もはや自分自身としてではなく、まったくキリストのうちに存在し、生き、行う」9 ことができるように望んでいた。
3.  最初の仲間たちの望みは、すべての人が苦しみや隷属状態から救われて自由になるため、キリストと共に歩み、全力を尽くしてキリストに仕えたい、というものであった。それは1534年にモンマルトルでたてた誓願によって実現され始めた。聖地巡礼の計画が実現できなければ、自分たちの身を教皇に委ね、教皇が神の栄光のため、また人々の救いのためになると判断するとおりに用いてもらうように望んだ。10 この献身は、ラ・ストルタの出現に際して確認された。そこで、聖イグナチオを通して、永遠の御父は彼らを御子の仲間として御子に与え、ローマで彼らを見守ると約束された。11 こういうかたちで神は彼らの祈りにお答えになった。彼らはかねてから、聖母マリアのとりなしを願って、御子と共に置かれるようにと祈っていたのである。
4.  教皇が最初の仲間たちを各地のミッションに派遣するにあたり、彼らは互いに別れることになるので、一つの共同体として団結すべきかどうかを考えた。『父祖の識別』によると、彼らは祈りのうちに識別した末、互いを心にかけるような共同体をつくり、互いのことを知ったり、生活体験を分かち合ったりすることによって一致のきずなを強めていくことを全員一致で決議した。12
5.  まだ司祭に叙階される前の1537年に、最初の仲間たちはすでに清貧と貞潔の誓願をたてていた。1539年の段階では、自分たちの意思、理解、能力のすべてを捧げ、教皇から授けられるミッションを遂行するほか、彼らのなかの一人に対しても従順の誓願をたてるべきかを検討した。この問いへの答えも「イエス」であった。彼らは祈りながら識別し、自分たちのうちの一人に対して従順を誓うことにするならば、「すべてのことにおいてより大きな確信と、神へのより大きな賛美と、神からより大きな報い」13 が得られるようになるという結論に至った。
6.  教皇勅書Regimini Militantis Ecclesiae は、この基礎体験を受け入れた教会の公的承認である。それゆえに、イエズス会として最初の仲間たちの歴史的、神秘的体験を忠実に守りつづける唯一の方法は、「地上におけるキリストの代理者であるローマ教皇のもとで、主とその花嫁である教会だけに仕える」14 ことである。
7.  『会憲』に描かれる霊的養成の目標は、まず、養成中の会員を会の使徒的生活のために育てることと、すでにミッションに従事している会員の使徒的生活を深めることである。会憲の第三部では、修練者は、霊的、使徒的識別の手ほどきを受ける。そこで、使徒職に従事し、仲間たちと組むときに求められることが課題となる。同時に、信仰や主への信頼に関して成長しながら、人間的、霊的成長を妨げる要因を認識し、それらを克服するためにどのような霊的方法が利用できるかを学ぶ。15
8.  会憲の第六部と第七部では、養成終了後の会員が対象になっている。イエズス会の使徒的生活の根本的な徳として、「分別のある愛」と「マジス」16 が設定されている。第六部で強調されているのは、キリストへの強い愛は、教皇および会の長上への従順によって具現されるべきであるということである。キリストへの愛のために従うのであるからこそ、養成終了後の会員は、教皇と長上の指示をキリストからのものとして従わなければならない。17 第七部全体では、従順の根源である「マジス」が論じられる。そこで強調されるのは、神のみ旨を探し求め、使徒的活動に従事するなかで必要となる、識別、自由、そして創造性である。18 このように、従順を忠実に守ることによって、会員は福音と霊操の価値、すなわち、神の国に奉仕するための応需性と、「他者に仕える人」となる自由という価値を具現する。

従順の神学的側面
9.  まず、わたしたちの従順は、神のみ旨を果たすことを求めるためである。その根源は、仲間としてわたしたちを選んだイエス・キリストに対する一人ひとりの愛にある。この愛をわたしたちの心に溢れるほど注ぐ聖霊は、キリストと一つになりたいという望みを抱かせ、「キリストと同じ思いとなる」19 ための力を与えてくださる。「主と同じ衣服を身にまとう」20 という望みによって、わたしたちは「謙遜の第三段階」の神秘的雰囲気に導かれる。21
10.  修道誓願によって、わたしたちは、主と共に置かれ、キリストに従って、御父からキリストに与えられた神の国を告げ知らせるというミッションを担うことになる。「わたしは来ました。
神よ、御心を行うために」22 とあるように、イエスの一生は、その最初の瞬間から御父に向かうものであった。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行う」ことである。23 イエスは「皆が永遠の命を得る」24 ために御父から遣わされたことを知り、自分自身からは何も行わず、「父のなさることを見て」25 そのとおりに行うのである。
11.  イエスは、ご自分のミッションに忠実であったゆえに、人間の罪深さや不正と立ち向かい、「死、しかも十字架の死」26 に至った。「アッバ、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」27 と、自らの抗う気持ちや弱さにも打ち勝って祈り、御父のみ旨を果たしたからこそ、すべての人の救いの源となった。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源になられたのです」。28
12.  わたしたちは、御父のみ旨を果たす仲間としてキリストに結ばれて、キリストの福音宣教のミッションに仕える者となる。従順によって、わたしたちは自由になり、福音の奉仕のみに献身できるようになる。従順によって、わたしたちは「自愛心、我意、利己心」29 から解放され、神が愛しておられるすべてのもの、そして、神が特別に心にかけておられる人々に全面的に献身できるようになる。
13.  わたしたちは、従順とミッション、さらに清貧と貞潔によって、キリストの仲間としてキリストに結ばれて、神の国とその価値を証しする者となる。30 ひたすらこの世のなかで神の国の発展のために働くとともに、その完成をひたすら神からの賜物として待ち望む。現世の物質を自分自身の所有物として用いることを放棄し、さらに愛情と自由のすべてを神の国への奉仕に捧げることによって、わたしたちは待ち望む神の国の実現に貢献するのである。
14.  人間の歴史のなかに神の御子が受肉され、わたしたちはすべてのもののなかに神を見出すように招かれ、すべてのものが救いのみ業に役立つということを理解できるようになった。だからこそ、わたしたちが識別する際、自分の歴史、社会、個人的状況などを考慮しなければならない。そのような状況のただ中で、神はみ旨を果たすためにわたしたちをお呼びになるのである。
15.  しかしながら、被造界の現実は、罪や不正によって歪められ、もはや神の善さを表さなくなり、かえって主の呼びかけに応えるのを妨げることもある。そのために、わたしたちは生涯、かならずイエスの「無にすること kenosis」31 にある程度でも与らなければならない。イエスに倣い、わたしたちも信頼をもって神のみ旨に自分を委ねて、日々力を尽くしている。たとえ罪のために神が遠く離れ32 隠れておられる33 ように思えても、ご自分の愛のしるしを数多く見せてくださるのである。
16.  復活された主は、聖霊を通して教会に生き、教会を通してこの世に語りつづけておられる。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。」34 信じる者は不完全であるが、教会はみ言葉の仲介者であり、救いの秘跡である。キリスト者は教会を通して神を見出す。わたしたちも神に仕えようと、教会のなかで従順を誓う。教会のなかに位置づけられているイエズス会は、わたしたちにとって、神のみ旨が示されるという恵みの場であり、「神に至る道」35 である。
17.  自由と真の自己実現として従順の誓願を生きるための必須条件として、御父から遣わされ、み旨に従順であったキリストを熱愛するという神秘的体験が、わたしたちのなかに生きつづかなければならない。またわたしたちは、キリストの仲間であることを、無条件の約束として日ごとに更新しなければならない。イエス・キリストへの愛こそが、ミッションに仕えるわたしたちの働きを実らせる。それは、「神の道具である人間を神と結びつけ、神の手によって正しく用いられるように人間を整えるための手段は、人々に役立つように人間を整えるための手段よりも、大きな効果をもたらす」36 からである。

現代の状況と課題
18.  現代人が大切にする価値の多くは、イエズス会の行動様式に基づいた従順を生きるためにも必要なものである。たとえば、人格や人権の尊重、表現の自由を大切にする対話への意欲、創意工夫を受け入れる姿勢、共同体をつくる積極性、そして自分自身より大きい何かのために生きたいという憧れである。しかし現代の文化には、従順の実践を難しくする過剰な自己充足や個人主義の傾向もみられる。
19.  イエス・キリストへの信仰の教えによると、真の自己確立とは自己を与えることによるものであり、自由とは何かを選択することよりも自分の選択をすべて愛に向かって秩序づけることである。またイエス・キリストを愛し、キリストに従いたいという望みを抱くならば、わたしたちはキリストに信頼して奉献するように導かれる。受肉したみ言葉に自らを捧げることは、必ずみ言葉を具体化するものにも自らを捧げることに至る。わたしたちにとって、特にみ言葉を具体的に仲介するものは、わたしたちの生活の中心となる教会と、教会に奉仕するために存在するイエズス会である。しかし時として、個人的信頼感をもって主に奉献したいという望みに、教会、あるいはイエズス会とその行動様式に献身しようとする望みが伴わない場合がある。
20.  自律への過剰な欲求に流されて、一部の会員は自己充足に陥り、十分に献身するということを示さなかったこともある。たとえば、長上に対して応需性が欠けたり、意見を述べる際に思慮分別が足りなかったり、地元の教会に対する協調性が欠けたり、教会やイエズス会から不信を抱かれる場合さえある。ある会員たちは、自分のミッションを自分で決めたいという要望を正当化しようとして、識別の用語を使ったりするが、その人たちは大切なことを忘れている。イエズス会の識別は、多くの声を聞いたうえでの「共同識別」であり、しかも長上がミッションを委託するときにはじめて識別として完成したものとなる、ということである。
21.  現代世界の様式が、権限の行使の仕方にも影響を及ぼしている。この世界では生産性を重視するあまり、過重労働に陥り、その結果注意散漫となって個人への配慮がおろそかになりがちである。権限を行使することが、他者を軽視し、他者の声に耳を傾けず、自分の声だけに従わせるという権力の行使に歪曲してしまう危険もある。確かにこのような傾向は、社会の多くの構造や人間関係を傷つけている。従順によってイエズス会のなかで、あるいはイエズス会のミッションを遂行する施設のなかで権限が与えられる場合、以上のような悪影響を必ずしも免れるとは限らないのである。
22.  このような態度がわたしたちを取り囲み、またわたしたちの内面にまで浸透している。しかし、これらの多くは、福音の精神や、イエズス会が会員に期待される従順の精神、さらにわたしたちの行動様式で前提されている従順の理想からかけ離れたものである。

イエズス会における従順の実践に関する、いくつかの具体的な側面
23.  イエズス会における従順の実践は、イグナチオと最初の仲間
たちの霊的経験に根ざしている。霊操によって結ばれた彼らは、ただ一つの目標を目指すようになった。それは、御子ご自身のミッションに派遣され、互いに仲間として主に仕えることであった。したがって、イエズス会の従順において基本的に望まれることは、実りをもたらすために派遣され、力を尽くして奉仕し、互いの一致の絆をいっそう堅固なものとすることである。37
24.  この3 つの要素は、良心報告において一つにまとめられる。そのため、良心報告はイエズス会の従順の実践にとって本質的なものである。38 会員は、自分の心のなかで起きていること、受けた恵み、誘惑の体験など、すべてを長上に打ち明ける。長上はその報告を受けて、さらに賢明に、確信を高めて、その会員をミッションに派遣できるようになる。しかも、この報告が年毎に繰り返されるので、会員と長上は協力して、そのミッションを評価し確認することができる。
25.  このような透明さが可能となるのは、長上が仲間でもあるからである。イグナチオは、長上が仲間たちを愛するよう望んだ。愛すれば、責任をもって行動するようになる。会員としては、自分を長上に完全に打ち明ける責任を負い、長上としては、兄弟に注意深く耳を傾け、率直に対話する責任を負う。特に会員が、与えられたミッションに関する困難を謙虚に報告する場合、会員と長上が共に責任を担う必要がある。イグナチオはこのことを重視し、奨励した。39
26.  このように、従順の特徴である信頼は相互のものである。会
員は長上を信頼して従順を実践し、長上は兄弟たちを信頼して派遣する。この信頼の前提は、長上が会員を識別する人として評価することにある。つまり、派遣される会員を、祈りのなかで主との親しさを求める人、秩序のない愛着から解放されようとする人であるゆえに、神のみ旨を絶えず求めて聖霊の導きに自らの心を開く人であると評価することである。
27.  イグナチオは、派遣する会員の望みが祈りから溢れ出るものであることと知り、彼らを信頼していたので、彼らの裁量に多くを任せた。40 イエズス会は、イグナチオの例にならって、ミッションに従事する会員が状況に応じて創造性を発揮し、真のマジスの精神にしたがって、託されたこと以上に尽くすことを期待する。41 このように、長上の信頼は、派遣される会員にしかるべき権限を委任することによって表され、従順を実践する会員は自らが創意工夫した提案を長上が受け入れてくれると信頼することができる。42 それゆえ、イエズス会における従順は、「創造的忠実」の実行であるというのは、的を射た表現である。43 個人の自由や創意工夫が求められるという意味で「創造的」であり、「忠実」であるのは、「『会憲』が目指す神へのより大いなる奉仕と、この修道会で生活する人々の善を念頭に置いて」44 決断をくだす任務にある長上の指示に快く応じるからである。
28.  従順の実践を、長上と個々の会員との関係だけに限定して考えるのは、十分ではない。共同体にも、果たすべき役割がある。わたしたちは共同体のなかで長上に従うので、共同体生活はミッションを効果的に支えると同時に、現代社会において欠けている意思疎通が可能であるということを表わすしるしにもなる。45 共同体は、使徒的識別のために特に恵まれた場である。正式な手順を踏んで行われる共同識別であっても、46 あるいは形式ばらない会話の中でのミッションに関する意見交換の形であっても、識別が促される場である。このような識別は、個人としてミッションを受け入れる時に助けになるばかりでなく、兄弟たちが引き受けたミッションを喜び、支えるためにも役立つ。このようにして、わたしたちのミッションは強められ、心の一致もより確かで深いものとなる。
29.  イグナチオや会員にとって、従順は神からの恵みであり賜物である。主から呼ばれて歩む道として与えられる。また主ご自身が、この道を歩む力を与えてくださる。従順の恵みに快く応えつづけた会員こそ、喜びをもって実りの多い奉仕ができる。

ミッションに関して教皇への従順を誓う第四誓願について
30.  イグナチオと最初の仲間たちは、「可能な限り最も有益な方法で教会に仕えたいという望みから」47 ミッションに派遣されるために、キリストの代理者に自分たちを委ねた。盛式誓願会員がたてる第四誓願を通じて、イエズス会全体は、「主キリストのぶどう畑に分配されるために」48 ペトロの後継者の授ける役務に自らを委ねる。こうして、神の意向に添う応需性を高め、教会により良い奉仕ができる。
31.  イグナチオ自身が「わたしたちの出発点、そして第一の基盤」49 とした第四誓願は、イエズス会の特性を表している。それは、教皇がどこに派遣してもよいという、教会に仕えるための全面的応需性である。第四誓願は、さらに、教会という生命体におけるイエズス会の位置づけを明確にする。というのは、使徒的修道会のカリスマを持つイエズス会は、教皇という人物を通じて教会の位階構造に結びつけられることによって、教会の構造に結合されるのである。また、この誓願を通して、イエズス会は、教会の普遍的ミッションに参加し、世界各地の教会にさまざまな形で献身できるので、会のミッション自体も名実ともに普遍的になる。
32.  『会憲』によると、「教皇に対する従順の第四誓願が意図するところは、従来においても現在においても、派遣に関することであり、…世界のさまざまな地方に分散すること」50 である。これがこの誓願の内容である。しかし『会憲』はさらに、「義務づけられたことだけではなく、その他、たとえ明らかな命令ではなく、長上の意思表示に過ぎない場合であっても」、51 従順に徹底した者となるように勧める。これは、「実行に加えて、命じる者と従う者とのあいだに意思と考えの一致がない限り、従順は不完全である」52 とする、イグナチオの従順の理想そのものである。
33.  会員が第四誓願をもって約束する応需性は、イグナチオの霊性で言う「教会での奉仕にふさわしい態度を持つこと」、もしくは「sentire cum ecclesia(教会と心を合わせる)」53 とは異なる。しかし両者は、主キリストに対する愛に根ざしている。この愛は、教会への愛、そして「主キリストの代理を務める長上」54 への愛にまで至る。わたしたちは実践の面でも、内的姿勢の面でも教皇と結ばれていると言われるゆえんである。第四誓願はもとより、教会を中心とするわたしたちの霊性そのものも、教皇が求める奉仕にすばやく身を捧げる姿勢を要求する。55
34.  イエズス会は、教会に仕える召命を与えてくださった神に深く感謝する。さらに、世界の至る所でキリストのミッションに従事して一生を捧げる多くの会員の例を見て、彼らが教皇から授けられたミッションに応じて、各地の牧者たちのもとで教会に協力していることを大きな慰めとする。しかしこの35総会は、全イエズス会の名において、教会に仕える会員たちが愛、分別、あるいは忠誠を欠いていたことに対し、主の赦しを乞い願う。同時に、イエズス会が今後も教会への愛と教皇への応需性において日々成長していくことを新たに決意する。

日常生活における従順
35.  総会は、従順について『会憲』や『補足規定』に定められたこと、あるいは近年の総会が与えた指針を繰り返すつもりはない。しかし、聖イグナチオが勧めるように、わたしたちが従順の完全無欠さにおいて卓越しつづけるために、56 現状に即したいくつかのことを提案したい。

養成中の会員
36.  35総会は、養成中の会員に、主における友である、という最初の仲間たちの実り豊かな経験を自らのものとし、すべての人、特に助けを最も必要とする人々に一生を惜しみなく献身して、会に組み入れられていく過程を、喜びをもって過ごすように勧める。
37.  養成中の会員に、養成の全過程を通して従順の霊性を学び、自分の生涯、自分の自由をキリストのミッションに捧げる応需性を身につけるように奨励する。共同体生活や、長く続く勉学の厳しさ、その他の多くの経験には、自己放棄の機会が必ず伴うので、それを大いに利用するとよい。「み国の到来がもたらす喜びの実りでもあり、また徐々に深まるキリストとの一致の結果」57 でもある自己放棄は、従順に伴う困難な要求を冷静に引き受けるために必要な徳である。
38.  養成担当者に、養成中の会員が従順の神秘的根源を理解し、それを日々活かすための手助けを与えるよう勧める。その根源とは、主への無条件の愛であり、主と共に御父のみ旨を果たすために、主に仕えたいという望みまで至らせる愛である。養成担当者は、養成中の会員が従順の生活で求められる事柄を段階を追って意識するよう手助けしなければならない。たとえば、長上への透明さ、良心報告の尊重、自分のイニシアチブに関する責任感、さらに長上の決断を快く受け入れる識別の精神である。
39.  イエズス会の霊性と伝統からすると、会員は、会のミッションとアイデンティティに必須な特性である教皇への従順の精神に満ちているはずである。34総会が定めるように、会員の霊的、教会的養成のなかで、ミッションへの応需性と、「教会での奉仕にふさわしい態度を持つこと」58 が強調されなければならない。

養成終了後の会員
40.  35総会は、養成終了後の会員に、内的自由と神への信頼という点で成長しつづけるよう勧める。かれらが成長すれば、世界のどの地域であっても赴き、「より広範囲の、しかもより大きな実りが期待できる」59 使徒職であればどのようなものであっても引き受ける応需性が、ますます徹底するであろう。
41.  総会は、すべての会員に、教皇への愛情と教会の牧者たちへの敬意を深め、この点で過ちがあれば、それを改めるよう勧める。
42.  同じように、総会は、すべての会員に、支部長上や上級長上が会に奉仕していることを感謝して認め、彼らの任務遂行を支えるよう求める。
43.  すべての会員が、良心報告を従順の実践のために本質的なものであると見なし、全会員に向けた2005年2 月21日付の書簡の中で、コルベンバッハ神父が定めた指針にそって良心報告をすることは、きわめて重要である。良心報告の際、「ミッションは任命され、確認され、あるいは変更される」60 ので、それはまず、上級長上になされなければならない。しかし同じ書簡のなかで、支部長上に良心を打ち明けることに関して述べられていることにも留意すべきである。「会員は、いつでも支部長上に良心を打ち明けることができ、そして長上は、必要であるならばそれを会員に求めることも実際に許される。」61
44.  総会は、会員に、支部長上の権限の範囲にある事柄に関しては支部長上に相談し、上級長上に直接に相談を持ち出さないように求める。
45.  現状で、会員はしばしば事業体の責任者のもとで会の事業に奉仕するが、その責任者は会員である場合も、会員でない場合もある。いずれの場合でも、会員は職務に関しては、上司に全面的に協力しなければならない。会員は、その事業体がイエズス会のアイデンティティを維持しつづけられるように、力を尽くして貢献しなければならない。
46.  総会は、教会への奉仕に生涯を捧げてきた高齢会員に、深い感謝の意を表したい。彼らに新たに伝えたいことがある。それは、体や精神の力が衰えても、また病気などで苦しんでいても、「町や村でみ国を告げ知らせる」62 活躍をしていた頃と同じように、主と身近に一致している、ということである。「教会とイエズス会のために祈る」ことがおもな務めである会員は、真にミッションに従事している者であり、会の発展と神の国への奉仕に彼らが貢献していることをいくら強調しても、強調し過ぎることは決してない。彼らは、神のみ手に自らを全面的に委ねる模範を示し、兄弟たちを力づけ、慰めるのである。

長上について
47.  総会は、上級長上に、自信と喜びをもってその役職を務め、明瞭な形で会員にミッションを与え、派遣した会員に関心と配慮を示すよう勧める。
48.  上級長上が、会員でない人々を事業体の責任者に任命する際、候補者の職業上の能力だけではなく、会のミッションや行動様式に対して理解し、積極的に受け入れているかを考慮に入れるべきである。
49.  総会は、上級長上に、補完性の原理を尊重し、支部長上に委託した職務に関しては、委託した権限内でなされる意思決定を尊重するよう勧める。
50.  総会は、支部長上の役割の重要性を再度強調したい。支部長上は、そのミッションのための養成を受け、事前に準備する必要がある。それゆえ、上級長上は、支部長上を育成するために定期的に適切な養成コースを提供する責任がある。
51.  支部長上は、最終誓願をまだたてていない会員への配慮と養成について、共同体全体と責任を共有する。総会は、支部長上に、良心報告を年に2 回要請することと、誓願更新の機会を与えることを確保し、養成中の会員が人間として、修道者として成長するように促す共同体の雰囲気作りに、特に配慮しなければならない。
52.  共同体の生活が、明確な指針によって統治されることは重要である。総会は、支部長上に、兄弟たちと協力して共同体の日課や共同体生活のための指針を策定し実施するよう求める。このような慣習は、上級長上の年次訪問の際、または他の適切な時期に評価されなければならない。63

結び
53.  ロヨラからローマへの巡礼の途上、イグナチオは聖母マリアに、御子の旗のもとに受け入れられる恵みを与えてほしいと絶えず祈った。64 「わたしは主のはしためです、お言葉どおりこの身に成りますように」65 という言葉によって、マリアは、どのように完全な応需性をもって生きるか、どのように一生を御子に捧げるかを示している。カナの給仕たちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」66 という言葉の中で、マリアは、生き方の基本的指針を指し示している。そのため、イエズス会はマリアを従順の模範として常に見てきた。
54.  主の母聖マリア、聖イグナチオ、従順の生涯を深い愛をもって生き抜いた数多くの兄弟たち、なかんずくそのために殉教にまで至った兄弟たちのとりなしを願いながら、イエズス会は、「神へのいっそう大きな奉仕と普遍的な善のために」、67 従順の実践に自らを捧げる決意を新たにする。

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1『 補足規定』149-156, 252-262、31総会第17教令、32総会第11教令、34総会第11教令参照。
2 ペーター・ハンス・コルベンバッハ「教皇の応え」(2007年4 月21日)
3 第二バチカン公会議『修道生活に関する教令( Perfectae Caritatis)』2
4『霊操』45-47
5『霊操』91-100
6『霊操』97, 96
7『霊操』136
8 ヘロニモ・ナダル「祈りについて(Orationis Observationes)」308、ローマIHSI, 1964, 122
9 ヘロニモ・ナダル「祈りについて(Orationis Observationes)」308、ローマIHSI, 1964, 122
10『自叙伝』85
11 『自叙伝』96、ヘロニモ・ナダル「スペインで行われた訓話」(1554年) 16 (MHSI 66, 313)、ディエゴ・ライネス「エクサーメンに関する訓話」(1559 年) 7 (MHSI 73, 133)
12『父祖の識別』(1539年) 3 (MHSI 63, 3 - 4 )
13『父祖の識別』(1539年) 4 (MHSI 63, 4 )
14『基本精神綱要』(Exposcit Debitum)( 1550年) 3 (MHSI 63, 375)
15『会憲』260、『補足規定』45, 1 、32総会、第6 教令7
16『会憲』582
17『会憲』547, 551
18 エチオピア総大司教のもとに派遣する会員に対するイグナチオの指示は、第7 部の精神を生かしている。「以上のことは、すべて忠告として受け止めてください。総大司教はそれに従う義務はないのであり、むしろ、現在のそちらの状態と、いつも導いてくださる聖霊の恵みを思い、分別のある愛徳に従うべきで
す。」『イグナチオ・デ・ロヨラ書簡集』(平凡社)343( MHSI 36, 689-690)
19 フィリ2 : 5
20『会憲』101
21『霊操』167
22 ヘブ10: 7
23 ヨハ4 :34
24 ヨハ6 :40
25 ヨハ5 :19
26 フィリ2 : 8
27 マコ14:36
28 ヘブ5 : 9
29『霊操』189
30 第二バチカン公会議『教会憲章』44
31 フィリ2 : 5 - 8
32 マタ27:46、マコ15:34
33『霊操』196
34 ルカ10:16
35『基本精神綱要』(Exposcit Debitum)( 1550年) 1 (MHSI 63, 375)
36『会憲』813
37『補足規定』149-156
38『補足規定』155, 1
39『会憲』543, 627
40『会憲』633-635
41『会憲』622-623
42 31総会第17教令11
43 これは、会憲にある「老人の杖」や「perinde ac cadaver (屍のように)」という言い回しの意義に光を当てるものである。前後関係で分かることであるが、従うことは死んだようになるのではない。むしろ、長上から受けたミッションに動かされるということに、自らを捧げることを意味するのである。「従順の人は、修道会のからだ全体のために長上が用いようとする、どのような仕事にも、喜びをもって従事するはずである」(『会憲』547)
44『会憲』746
45 ペーター・ハンス・コルベンバッハ「共同体生活について」(1998年3 月3 日)
AR 22( 1996-2002) 276-289
46『補足規定』150-51
47 ベネディクト十六世「イエズス会員に対する訓示」(2006年4 月22)AR
23, 4 (2006) 677
48『会憲』604
49 Declaraciones sobre misiones 1554-55( MHSI 63, 162)、ペトロ・ファーブルMemoriale 18( MHSI 68, 498)、31総会第1 教令4
50『会憲』529 および 605
51 『会憲』547. 『会憲』でイエズス会の長上に対する従順が扱われているが、31総会ではこれを引用して教皇への従順に当てはめている。私たちは全力をつくして…第一に教皇に対する従順、次に、本会の長上に対する従順、しかも、「義務を負っていることのみならず、長上が明らかな命令を下さず、単なる意思表示にしか過ぎない場合にも。」(31総会第17教令10)
52『会憲』552
53『 霊操』352、34総会第11教令参照。ペーター・ハンス・コルベンバッハ「第
69プロクラトール会議に対する最後の訓話」(ロヨラ2003年9 月23日)AR
23, 1 (2003) 431-438
54『会憲』552
55『補足規定』253
56 「他の諸修道会がそれぞれの会則に従って、尊くも守っている断食・大斎・徹夜の祈り、その他の厳しい苦行の点では、私たちは一歩譲ってもかまいません。しかし、自己の意思と判断とをまことに放棄する従順の完全無欠さの点では、親愛なる兄弟たちよ、このイエズス会にあって主なる神に奉仕する人々が卓越することを…切望してやみません。」「ポルトガルのイエズス会員への書簡」(1553年3 月26日)( MHSI 29, 671)
57『補足規定』223, 4
58 34総会第11教令
59『会憲』622
60 ペーター・ハンス・コルバンバッハ「良心報告について」(2005年2 月21)AR 23,1( 2003) 558
61 ペーター・ハンス・コルバンバッハ「良心報告について」(2005年2 月21)AR 23,1( 2003) 558、「支部長上の指針」16, AR 22( 1996-2002) 369
62『霊操』91
63『補足規定』319, 324
64『霊操』147
65ルカ2 :38
66ヨハ2 : 5
67『会憲』618, 622
 
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