わかちあい   
現代に生きるイグナチオ 
現代に生きるイグナチオ

一、巡礼者イグナチオ
 「道」は意味深い日本語です。「華道」、「茶道」、「書道」、「弓道」・・・ 日本の伝統的文化には多くの「道」が見受けられます。「道」の魅力とは何なのでしょうか。「道」には、人間が生きるべき姿が隠されているからでしょう。私たちは「道」を歩む巡礼者なのです。第二ヴァティカン公会議は『教会憲章』の中で、キリスト者の共同体が「旅する教会」であると説いています。この共同体の一員として、私たちは何にもとらわれない自由な心を持ち、希望と喜びに満たされて、すべてのものの内に神を見いだし、互いに励ましあいながら、神に向かってたえず前進しようと努めなければなりません。
 イグナチオ・ロヨラは真の巡礼者と言えます。彼自身『自叙伝』の中で、自分のことを「巡礼者」と呼んでいます。「より大いなる神の栄光のために Ad Maiorem Dei Gloriam」、人生の道を歩んだ聖なる巡礼者でした。
 彼の著わした『霊操』は、心の巡礼記です。彼はマレンサの洞窟で、四週間ほど一人で祈りました。そこで、自分だけではなくすべての人々が、神のもとから生まれ出て、神のもとに戻ってゆくものであることを悟りました。「霊操」の冒頭の「原理と基礎」には、「人間がられたのは、主なる神を賛美し、敬い、仕えるためであり、これによって自分の霊魂を救うためである」とあります。イグナチオは、イエズス会会員と多くの人々が神から出て神に帰ってゆく巡礼をするように望んだのです。この心の巡礼は「活動における観想 contemplativus in actione」です。これはキリストの教会に使徒として奉仕することによって、神と人々へのダイナミックな愛に生きることです。
 『霊操』には真実をより深く知る心の旅路が、四週間の道のりで描かれています。第一週は、「自分の罪を深く悟る」(『霊操』63)ためです。第二週からの目標は、「主を深く知ること」(『霊操』104)です。第二週では主の公生活を、第三週では主の受難を、第四週では主の復活をより深く知るように勧められます。先ほどから「深く知る」という言葉がよく出てきますが、これは単なる頭の知識ではありません。心と心との生き生きとした出会いです。
 またイグナチオは、神に至る旅人には、神の働きにすべてを委ねる開かれた心が必要であると説いています。そのためには、神への熱烈な愛と勇気が求められます。

 次に『イエズス会会憲』について触れてみましょう。その中には、イグナチオに続くイエズス会員が、人々の内にあっていかに使徒として生きればよいかが書かれています。
 イグナチオは、十字架によって人々を救ってくださったイエズスに感謝して、こう自問します。「キリストのために何をしたか、何をしているか、また今から何をすべきか」(『霊操』53)と。こう問いかけながら、彼はイスラム教徒を神の国に導こうとエルサレムに赴いたり、司祭となって人々を救おうと願って学問を修めたりしたのです。彼の周りには、同士が次第に集まってきました。彼らはイグナチオから『霊操』の指導を受け、イグナチオと同じ「道」を歩む者になりました。この「道」はパウロなどの使徒たちが歩んだ「道」であり、さらにその源にはイエズスの「道」があるのです。イエズス自身「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章6節)と言っておられます。イグナチオやフランシスコ・ザビエルら七名は、一五三四年にパリのモンマルトルで、ともにこの「道」を歩み続けることを神に誓い、一五四〇年教皇パウロ三世は、この「道」を教会の中の一つの「道」として認めました。こうしてイエズス会が誕生しました。以降、多くの若者が『霊操』を通してこの「道」を歩み始め、世界中の様々な人々の中で、使徒として働いてきました。

『会憲』は入会から死までの全員の生涯を十段階に分けて規定していますが、その中にイグナチオの同士が歩む「道」が示されています。
第一部‐入会について
第二部‐召命がない者の退会について
第三部‐霊的養成について
第四部‐勉学の養成について
第五部‐会員としての自覚(誓願)について
第六部‐霊的生活(祈り等)について
第七部‐使徒としての使命について(会憲の中心部)
第八部‐会全体の一致について
第九部‐会の統治について
第十部‐会の維持と発展について
 この「道」を歩むためには、無私の心が必要です。この心は外的な規制から生まれません。聖霊の導きのままに生きることによって、試練と挑戦の多難な道を、深い喜びを味わいながら歩めるのです。

 さらに、イグナチオの霊性と、教会の中での使命について考えてみましょう。彼は現状を満足することなく、チャレンジの精神を持っていました。彼は「よりよいものを magis」という言葉を好んで使っています。この世の王よりも永遠の王キリストに従い、日々の生活の中でもよりよい選択を望んだのです。また彼は中世最後の十字軍魂を持つ、「騎士」でもあり、ルネサンス最初の本当の意味での「ヒューマニスト」でもありました。彼は人間の内に無限の強さと無限の弱さを見いだしていたのです。
 また彼は奉仕の人でした。イエズス会員の真の姿について、彼はこう書いています。「十字架の旗のもとで神のために戦い、地上におけるキリストの代理者であるローマ教皇のもとで、神とその花嫁である教会だけに仕えようと望む者」(『イエズス会基本法綱要』冒頭)と。このためイエズス会の使命は決して固定されたものではありません。むしろ教会への奉仕のためならば、いつでも、どこでも、どのようなことでも心構えが大切なのです。
二、現代人への問いかけ
 偉業をなそうとする若者に、イグナチオは語りかけます。
「一体何をしようとするのか」。
「何のためにそれをしようとするのか」。
「もっと神と人々に喜ばれる人生があるのではないだろうか」。
「一生をかけて求めるべきものが他にあるのでは……」。
またこうも問いかけます。
「何を一番大切にしているのか」。
「この世の価値観に従って生きようとするのか」。
「もっとみ旨にかなう社会にできないのだろうか」。
「どうやって人々を愛するのか」。
最後にイグナチオは尋ねます。
「キリストはあなたに何を望んでおられるのか」。
「明日のあなた、一年後のあなた、数十年後のあなたはキリストのために何をしているのか」。
 あなたはどう答えますか。
 あなたはどの道を歩みますか。

ホワン・カトレット(イエズス会司祭
 
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