わかちあい   
希望をもたらす人、ペトロ・アルペ神父 
希望をもたらす人、ペトロ・アルペ神父
今年は、1907年11月14日にスペインのビルバオで生まれたペトロ・アルペ神父の、誕生100周年を記念する年にあたります。アルペ神父は1927年の夏、まだマドリッドで医学生だった頃フランスのルルドにあるMarian Sanctuary へいき、そこに送られてくる患者のヘルパーをしていました。その時、その患者たちが聖母マリアのとりなしを受けて癒されていくのを目の当りにし、イエズス会士となる召し出しを受けました。このアルペ神父を私たちのもとへ送ってくれた神様に、まずは感謝をささげたいと思います。
当時、スペインが内乱状態だったためアルペ神父は1936年にベルギーで司祭叙階の恵みを受けます。その後1938年宣教師として来日し、1942年から57年まで広島の長束でイエズス会日本準管区の修練長をつとめていたとき、その広島でアルペ神父は原爆を目の当たりにすることになります。彼は自分の医学的知識を精一杯使って原爆の犠牲者たちの命を救いました。1958年には日本管区の最初の管区長となり、その後1965年にイエズス会の総会長にも選ばれました。何度も世界中のイエズス会員を訪問しましたが1981年病気で倒れ、10年間患者として、そして静かな祈り人として過ごした後、1991年2月5日ローマで静かに息を引き取りました。

キリストへの愛
「キリストの御手に自分自身を捧げ、どこにでも遣わされること」、これが自分の人生を要約したアルペ神父自身の言葉でした。彼はイエスの御心の信心によって日々親密で情熱的なイエスの愛のうちに生きる術を心得ていたと同時に、イグナチオの「霊操」の精神に従って生きていました。「愛を得るための観想」の中にある「主よ、わたしの自由をあなたにささげます。わたしの記憶、知恵、意志をみな受け入れてください」という「自分を捧げる祈り」は、アルペ神父を宗教者、聖職者、そして司牧者へと突き動かし、彼が招かれた家庭ではどこであろうと必ずその家をイエスの御心にささげました。後にアルペ神父は「ザビエルの成功の秘密は、イエスへの信頼だった」と福音説教の中に記していました。
彼はよくキリストへの祈りを朗読していました。「イエス、わたしの神、救い主、私の友、わたしの心、わたしの愛…。この世界の中で、わたしを虜にするのはあなただけです。わたしは、この世の何物をも望まず、何物によっても慰めを受けようとは思いません。わたしは、物や私自身から完全に遠ざかった無になりたい。そして、ただただあなただけを愛したい」と。

希望の人
アルペ神父は、神の人であり、イエス・キリストの友、霊的な人、教会の人、そして内面がいつも自由で純粋な心を持つ真の清貧を生きたイエズス会員でした。彼は司牧の熱意に溢れ、新しいものを取り入れることに躊躇しない長上で、異文化との深いインカルチュレーションのセンスを持ち合わせていました。また日本的な考え方と感じ方を心から愛し、その上で日本文化とのインカルチュレーションの良い見本を私達に与えてくれました。加えてアルペ神父は教える人でもあり、イエズス会の大学や中高等学校に対して、生徒たちが人のために働く人間になるのを手助けするための教育指針「Jesuit-Ignatian-education」を作りました。

とりわけアルペ神父はイエズス会や教会の内外で出会う人々の良いところばかりを見つけては素晴らしいユーモアでいつも子供や大人たちに笑いを振り撒く楽観家でした。思うに、アルペ神父のこうしたユーモアのセンスは彼が非常にバランスの取れた人で、イエス・キリストへの深い信仰と愛に由来しているということを示しているのではないかと思われました。
彼は、死ぬまで多くの誤解に苦しみましたが、とりわけ彼がイエズス会の総会長になった頃の、カトリック教会内と同様イエズス会の中においても危機と変革の嵐が吹き荒れた時期に多くの誤解で苦しみました。しかし、持ち前の謙遜と未来に対する明るい希望とによって、アルペ神父はそれらすべてを乗り越えました。そうしたアルペ神父に倣いつつ、難しいこの時代に生きる私たち一人ひとりに、アルペ神父が天国からとりなしてくれるよう願いましょう。

ホアン・カトレット(イエズス会司祭)
 
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