わかちあい   
神学期 
 紗希のイエズス会総長ペドロ・アルベ師は、神学的使徒職を会における働きの優先順位の第一に挙げられたことがあります。事実、イエズス会は創立期以来、どの世紀にも著名な神学者を輩出してきました。今日もまた世界各国における神学部や神学校などで、多くの会員が神学に従事し、司祭養成や教会への奉仕にたずさわっています。ではイエズス会員の養成にとって神学はどのような意識を持っているのでしょうか。
 たとえそれが司祭教育にとって中心的な神学であっても、勉学が会員を造るわけはありません。修道者を召し、会のカリスマにかなった人としていくのは、基本的に神さまの業です。イエズス会はイエスの伴侶となり、イエスに忠実に留まり、イエスに仕えるために生まれた修道会です。そのため、創立者聖イグナチオは会の名前として「イエズス会」以外のものを考えることができなかったのです。そこで、一人のイエズス会員が生まれるとは、百パーセント自分をイエスに捧げ、彼の救いの業に身を投じる人になるということです。そしてイエスと共にあるということは、恵によってだけ成就することです。
 しかし私たちのこの会に召し出しを受けた者は、「共にある」という務めを少しでもよく果たしたいと人間的にも努力します。そのために四年から五年にわたる神学の勉強は何よりも大切です。つきつめて考えてみれば、神学とはイエスご自身の関心語を分かち合う営みにほかならないのです。
 具体的に言えば、多くの神学生はこの時期に上智大学神学部で、そして若干の人たちはドイツやアメリカ、あるいはローマなどで過ごします。それがどこであれ、この時期、彼らは聖書学、組織神学(教義学)、実践神学(司牧神学)の三分野にわたって賢固な基礎を獲得するように努力します。聖書の読み方を学び、できるだけそれに通暁し、教会の信仰と理解をこれによって深めていく。自分の信仰経験を反省し、さらにそれをどのようにすれば周りの人々に伝えていくことができるのかを真剣に吟味し身につけていく。このようなことを地道に日々積み重ねていきます。
 召し出しの年齢が昔より高くなった今、そして中間期という実務中心の時期を通った後、この最後の長期にわたる勉学期は必ずしも容易な時期ではありません。自分の年齢からしても、一日も早く人々と関わり、キリストとその福音を伝えたいと心がはやります。しかしここで、はやる心を押さえ、じっくりと腰をすえて、研鑽に励み、学識を積み、比較的単調な共同生活の中でキリストとの交わりを深めていくことはどうしても必要なことです。それが司祭叙階のための条件だからというわけではありません。イエスと共にあり、イエスの業に参与し、それを人々に伝える、そんな存在にできうる限り忠実に近づこうとするのが私たちイエズス会員のカリスマなのなら、その理由だけでこのステップは省くこともできず、軽んずることもできないものになります。より大いなる神の栄光のために、そしてより豊かに人々がその恵みに俗するために、イエズス会員となろうとする者はどんな努力をも省略するわけにはいかないわけです。
 最初に言いましたように、会員として呼ばれ、会員となっていくことは基本的に神さまの業です。しかしこれに応え、特に信仰そのものに関して、できうる限り知的にも実存的にも自分を整えることもまた、私たちの召し出しの特徴なのです。知的水準が高く、かつ非キリスト教的な日本社会において、このことは特に大切な点だと思います。知識に裏打ちされ、自分自身にとって確固たる信念となったイエスとその福音。それをあかしすることができる人となるようにと、神学生は恵みの量りに従って努めていくわけです。
 神学期を終了し、司祭となっても、イエズス会員、まだその目標とするものに到達したと言えないでしょう。その後何十年にもわたって神さまからの養成はイエズス会員の一人ひとりに対して続くことでしょう。しかしその恵みを無駄にしないためにも、神学期によい恵みの器を準備することが大切です。

岩島忠彦(イエズス会司祭 上智大学神学部教授

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