わかちあい   
最終誓願 
第四誓願とミッション
            

 最終誓願を立てるイエズス会員は、神の御前で清貧、貞潔、従順を守ることを誓った後、もう一つの誓願を加える。「その上には私は派遣されること(ミッション)について〔イエズス会の〕勅書や会憲に従って、教皇様に対する特別の従順を約束する。」私は、ここでの第四誓願について一人のイエズス会員として感謝をこめて簡単に考えてみたい。
 イザヤの書には、神と人間の間に交わされた美しい対話が記してある。
 「私は主の御声をきいた、『だれを遣わすべきか。だれが我々にかわって行くだろうか』。私は言った。『私がここにおります。私を遣わしてください』」。神は預言者やそのような奉献をする人々のことばを受け入れて、御子を遣わされたように彼らを送られる。
聖イグナチオが歩んだ霊的な道をよく知っていた同時代の一人が、次のように説明している。
 「彼は、しらないところへやさしく導かれていった。」”Deducebatur suaviter nesciebat”.その導きは、イグナチオの生涯の二つの代表的な時にみられる。カルドネル川の辺りで、イグナチオの魂は神の奥儀について聖霊によって照らされた。後にイグナチオは、霊操の中でその時に得た知識によって神聖なミッションについて語っている。
 「神野三つのペルソナが人間となることを永遠から決められたこと」。(霊操番号一〇二)
 数年後ラ・ストルタの小聖堂で、御父はイグナチオたちを御子に委ね、十字架を担うイエスはイグナチオとその仲間を受け入れ、ローマへの道を示された。
 イエズス会の歴史の流れの中にも神の同じ計画の実現が見られる。モンマルトルでは、イグナチオたちはまだ修道会をつくることを考えていなかった。彼らは、ただ心に燃える望みに従ってキリストに仕え、人々の救いのために力を尽くしたかったので、清貧、貞潔、そしてエルサレムへの巡礼を神に誓った。もし三番目のことが不可能であれば、教皇の指導を仰ぐことを付け加えた。
 聖地へ渡る前にローマへ行き教皇様の祝福を願った。その時、パウロ三世は頼まれた祝福だけでなく、快く、司祭叙階の許可と、その後に活躍することができるための寛大な許可を与えられた。このようにした教皇は彼らがその使命を果たすことができるように道を拓かれた。
 純令が妨げられたので、イグナチオたちはモンマルトルでの約束を思い出し、ローマに戻って教皇に使徒職のために自分たちを使って下さるように願った。パウロ三世は彼らを受け入れ、次第にミッションを託しはじめられた。第四誓願はその歴史とイグナチオの霊的な体験の結果である。
 イエズス会を認可するパウロ三世とユリオ賛成の勅書を照らし合わせてて読むと、第四誓願の意義を述べることばには、はっきりした考えの発展が見られる。パウロ三世の勅書に挙げられる理由の中には、自己放棄の念が目立っているが、ユリオ三世の勅書では、教皇座ともっと献身的に結ばれることと、聖霊の豊かな導きを受けることが前面に出されている。しかし、両勅書には信仰の宣教と霊魂の救いのための活動においては、神の御旨に従って行われるように遣わされることが、根本的な目的として挙げられている。それはキリストの代理者であり教皇の指導によって神の救済のご計画に接木され、キリストのミッションにあずかることである。一人のイエズス会員がこの第四誓願を立てる度に、本人だけではなく、全イエズス会がペトロの後継者を通して御父に向かい「私がここにおります。私を遣わせてください」と心から懇願するのです。

イエズス会会憲より
(六〇三)キリストの最高の代理者としての教皇に、何らのいいわけをすることなく従う誓願は、教皇が神のより大いなる栄光と人々びとの霊魂の利益のため、会員を信者あるいは信者でない人びとのもとへ送ることがよいと判断したとき、いかなる場所であっても赴くことを意図している。この会は、特定の場所を目指さず、世界のさまざまな地方や場所に散在すべきであるので、この配分を教皇にゆだねることによって、いっそう的確なものとすることを望むのである。

結城了悟(イエズス会司祭 故人)

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