わかちあい   
社会 
日本管区の使徒職
社会使徒職

─社会使徒職における働きと意味─
下 川 雅 嗣


 昨年秋以降、世界金融恐慌のもと、世界中で失業者が増加し、日本でも「派遣切り・期間工切り」が問題として大きく取り上げられるようになり、貧富の格差は拡大し、貧困層・失業者・野宿者が増加してきました。一方で、増大する社会不安を力で押さえつけるかのように、出入国管理法改正(2009年7月)や各地での安心安全条例の制定など、治安強化が進んでいっています。このような流れのなか、苦しみの中にある人々は歪んだ社会構造を変革していこうとするのではなく、その苦しみの原因を自分に帰して、うつ状態、そしてついには自殺に至るまで自分自身を追い込んでいきます。これらに対して、政治も機能不全に陥り、混沌としているようです。

 この状況での社会使徒職とは、何なのでしょうか。もちろん、苦しみの中、不正の中にある人々と共に歩むこと、彼ら・彼女らを支援することはその一つですが、それだけでは十分ではありません。なぜなら、このような苦しみ、不正な状況は無から生み出されるのではなく、私たちの日々の生活、営み自体が作り出す社会構造によって生み出されているからです。私たちは、構造的罪の中にある、と言ってよいでしょう。私たちが構造的罪の中に生きていることを意識して、できるところからその変革に取り組んでいくこと、これはすべてのキリスト者、そしてすべての善意の人々への呼びかけではないでしょうか。

足立区の日本語塾で行われたもちつきの様子

 例をあげるならば、冒頭の状況は、それぞれ無関係ではなく、「グローバル化した新自由主義」が根源的原因の一つではないかと思います。新自由主義とは、「企業活動の自由を最優先させ、本来政府が持つべき、人々の生存権、人権、そしてセイフティーネットに対する責任を放棄して、すべてを市場での競争、または企業・民間活動に任せ、ひいては個人の自助努力に帰する」と言った考え方です。その本質は、「強いられた競争、敗者の排除、そして市場至上主義の帰結として、すべてのものの価値、最終的には人の価値でさえ、市場で決定され、市場で価値づけされないものは排除される」ということです。この考え方は、「その人の能力や仕事に関係なく、例外なく人が人として大切にされる」という福音的な価値観、神の無償の愛と真っ向から対立しています。
 私たちは、生活や仕事において、またイエズス会の中高使徒職や大学使徒職においても、そして一人ひとりのメンタリティーにおいても、このような考え方に強く影響を受け、構造的罪の中に飲み込まれていることを自覚する必要があるでしょう。その上で、この構造とメンタリティーを、少しでも可能なところから変革することに呼ばれているのだと思います。もちろん、そのためには、苦しみの中、不正の中にある人々と実際に少しでも接することが重要であり、彼ら・彼女らとの関わりの中でこそ、光を見出せると思います。
 私たちの生活自体がその罪の構造を基盤に営まれているわけですから、その変革の取り組みは私たちの生活基盤を壊すことにつながり、困難を極めるでしょうが、それでも、可能なところを探し続け、あきらめないことです。そして、この困難な歩みこそ、十字架を担うキリストに従い、社会の一つの最前線(フロンティア)に赴くことではないでしょうか。
(しもかわ まさつぐ 上智大学外国語学部勤務)



釜ヶ崎での炊き出しの様子


 
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