わかちあい   
特ページ 『東日本大震災リポート』 
東日本大震災 ボランティア参加報告


 3月11日に宮城県三陸沖を震源として起こった地震、続いて起こった強大な津波による被災地(仙台、石巻)に、5泊6日の日程でボランティアに参加した。カトリック仙台教区センター内に置かれた「仙台教区サポートセンター」の呼びかけに応え、真生会館学生センターがボランティアを募集したのだが、私はそのボランティアの一員として応募し、他のボランティア6名と共にボランティア活動に参加させていただいた。この報告書は、今後の支援を検討している方にも参考にしていただくために作成した。
 なお、被災地の状況は日々変化している。新しい情報は絶えず諸ホームページ等で紹介されているので参考にしていただきたい。

1. 活動概要

活動した期間: 2011年3月23日より3月28日まで

活動場所: 仙台教区サポートセンター(カトリック元寺小路教会 宮城県仙台市青葉区本町1-2-12)、石巻カトリック教会(石巻市)

内容: 仙台に到着後、塩釜カトリック教会と石巻カトリック教会の二箇所に別れて派遣された。私は石巻カトリック教会に行った。まず石巻カトリック教会にボランィアが宿泊できるよう教会の信徒会館を準備。その後石巻市ボランティアセンターに届けられているボランティア活動、もしくは教会信徒で被災された方の家の復旧作業手伝いを行った。主に津波による床上浸水の被害であるので、ヘドロの掻き出し、処分しなければならない家具・畳などの運び出しを行った。水を吸った畳はかなりの重量であり、被災者だけで運び出すことが不可能なのだ。

参加者: 真生会館学生センターから出発したのは7名。7名は学生や社会人などボランティアに応募した人である。

活動場所へのアクセス: 東京から二台の乗用車に分乗して出発した。3月23日時点では東北自動車道が開通していなかったため、関越自動車道を通り新潟県、山形県経由で仙台へ入った。新潟でガソリンを満タンにして仙台に入り、仙台、石巻での活動中は給油ができなかった。3月28日に仙台から東京に向かう時には東北自動車道が開通したので大幅に早く帰ることができた。給油は那須高原SAで行うことができた。

2. 仙台サポートセンターの状況について
 宮城県三陸沖を震源として起こった地震と津波によって東日本太平洋沿岸で甚大な被害が起きた。主要な被災地は仙台教区内であるため、仙台教区サポートセンターがカトリック仙台教区教区センター内に設置された。平賀司教がセンター長、小松神父が同補佐を務めている。運営をカリタスジャパンが支援している。3月18日よりボランティアと物品の受付を開始した。
 神言会修道会の成井神父をはじめ、カリタスジャパンのスタッフが常駐すると同時に、JLMMや信徒、教区・修道会志願者らがスタッフとして協力している。同センターは立ち上げられた直後ということもあり、スタッフの入れ替わりや活動内容の変動が見られた。また塩釜や石巻など、仙台教区内のカトリック教会をベースとした宿泊場所の開設が行われている最中であった。
 仙台教区センター内のサポートセンターは、ボランティアや物品の受付するための事務業務と同時に、仙台に到着したボランティアの宿泊場所としての機能を持つ。宿泊場所と言っても、仙台教区センターの会議室に寝袋を並べて寝るだで、食事なども各ボランティアが自分で用意した。3月27日時点では仙台教区センター付近の飲食店も再開したので、外食なども可能であった。
 仙台教区サポートセンターは3月28日の時点で、塩釜カトリック教会と石巻市カトリック教会の二箇所に前線の宿泊場所を設置していた。それぞれのカトリック教会の信徒会館を宿泊場所として使用している。塩釜は石巻よりも数日早く準備ができたので、10名~20名ぐらいの規模で宿泊が可能である。石巻は信徒会館で使える部屋が手狭であるので、やはり20名弱ぐらいの宿泊が限界であるかと思われる。その宿泊先からそれぞれの地域のボランティアセンターなどに出かけていき、毎日ボランティアの仕事を割り振ってもらい働く。現段階ではサポートセンター独自の活動を展開しているわけではない。

3. 被災地の状況

仙台市内
 仙台市内の仙台教区センター付近は大きな被害は見られなかった。到着した時(3月23日)にはすでに電気・水道は通っていた(ただし海に近い若林区などの被害状況は聞いていないので不明である)。ガスは約42万戸に通っていない状態であった。ほとんどの店は閉店しており、一番深刻な問題はガソリンが不足していることであった。ただし3月27日に再び仙台に戻った時には状況が少し改善されていると聞いた。また飲食店などが再開していた。

石巻
 私は石巻に行った。仙台市内から石巻方面に向かう途中、塩竈市、松島町を通過したが津波の被害が甚大であった。津波で流された車両が国道に並、海岸沿いはまだ海水が抜けておらず、瓦礫や海水が一面に広がっていた。
 石巻市内もかなり広範囲にわたって津波の被害があり、市内のほぼ半分ぐらいの地域が津波の被害を受けていた。海岸沿いは家が倒壊し、火災などもあったようで壊滅的な状況であった。かなり内陸部まで床上浸水などの被害が起きていた。市内のほぼすべての学校は避難所になっており、一万人以上が避難所にいるということであった。また遺体安置所が何箇所も設けられ、身元確認を待つ遺体でいっぱいのようだ。身元確認された遺体は火葬ができない状況なので、市内の公園に仮埋葬されている。
 石巻市内から一度、南三陸町方面に向かって十三浜を通過したが、これらの海外沿いの漁村は更に深刻な状況であった。村の殆どの建物が消失していた。
 津波で流された地域はまだ海水や瓦礫に覆われた所が多く、行方不明者の捜索もまだ続いていた。石巻市内でも、まだまだ遺体が発見されていない状況であった。
 石巻旧市街から少し離れたところに赤十字病院と石巻専修大学キャンパスがあり、そこが自衛隊や様々なボランティア団体の基地のような機能を果たしていた。そこで毎晩NPO連絡調整会議が行われていたが、市の発表している避難所の数と自衛隊が発表している避難所の数、またNPO諸団体が把握している避難所の数が一致しないなど、混乱していることがわかった。被害の実体がまだ十分に把握されていない状況であった。多くのNPO諸団体は炊き出しや物資救援など、災害の初期支援を中心としたグループである。
 石巻市だけを見ても、完全に家を失った被災者から床上浸水程度の被害ですんだ被災者、まだ不明者を捜索している被災者など、状況は様々であった。被災の程度に応じて様々な援助のニーズがあるのが現状であった。
 復旧活動や捜索活動の妨げとなっているのがガソリン不足であった。またほとんどの店も被害を受けていることと物流が滞っていたため閉店していた。食料などは避難所などに届けられる支援物資が頼りであった。一部の地域では電気・水道が復旧していたが、なお多くの地域では電気・水道が不通であった。
 
4. 具体的な活動内容(私が何をしたか)
3月23日(水)
9:00am頃、真生会館(信濃町)出発
8:15pm、 仙台教区センターに到着。オリエンテーション。JLMM漆原さん、カリタスジャパン小野さん、札幌教区志願者佐久間さん、仙台教区信徒で仙台市役所勤務の三友さんから説明を受ける。仙台教区センター内会議室にて宿泊。
3月24日(木)
9:15am頃、石巻に行くグループが出発。リーダーとして佐久間さん、真生会
館から来た4名と個人ボランティアのシスター中山の6名で出発した。
10:25am頃、塩釜カトリック教会に到着。状況の説明を受ける。
1:30pm頃、石巻カトリック教会に到着。主任司祭の土井勝吾神父様と相談しながら、宿泊場所のセッティング。
7:00pm、石巻専修大学キャンパスにて毎晩行われる石巻NPO連絡調整会議に出席。
3月25日(金)
午前:教会信徒、阿部誠司さん会社事務所(石巻市三股)復旧作業手伝い。
午後:石巻カトリック幼稚園園児安否確認のため十三浜へ。
夜 :NPO連絡調整会議出席。
3月26日(土)
午前:阿部さん手伝い、幼稚園の先生の車パンク修理など。
午後:教会信徒、斎藤秀樹さん宅(石巻市大曲)にて家具などの運び出し、ヘドロの洗い流し。
3月27日(日)
午前:ミサ。信徒が集まったので、それぞれの状況確認。
午後:教会信徒、赤城さん宅(新横堤)にて家具、畳などの運び出し。
夜 :仙台教区センターへ移動。
3月28日(月)
午前:東京へ戻る。

5. 問題点
 前述の通り、石巻市内において多様なボランティアが必要である。自衛隊の救助が必要な地域も残っている一方で、住宅が残っている地域などでは家具の運び出しなどの手助けも必要である。特殊な技術を必要とするボランティアから、力仕事だけのボランティアも必要である。ますます大勢の手助けが必要であるが、一方で十分な宿泊施設がないのも現実である。石巻カトリック教会も聖堂と司祭館、信徒ホールが一体となった建物であるので、大勢の人間が宿泊することは困難である。今後、復旧の程度に伴ってますます多くのボランティアが必要となるであろう。宿泊場所の整備などを検討していく必要があるだろう。
 また私が滞在している時点では、ガソリンが決定的に不足していたため、ボランティアに行くための交通手段確保が困難であった。開通しているJRバスなどで現地に到着しても、送迎をするための車もガソリンもない。ボランティアはそれぞれ車を用意し、ガソリンを携行缶で持参して現地に入る必要がある。ただし、ガソリンの供給状況などは刻一刻と変化しているため、絶えず新しい情報を確認する必要があるだろう。
 支援物資の送付もよくサポートセンターと連絡を取ってから行うべきである。バラバラに支援物資が届いても、それを運ぶ手段がないのが現状である。また避難所に何かを持ち込むとしても、1000人ほどの避難者がいるため、人数分配布することができなければ混乱が生じる。1000人の避難者がいる所に200人分の衣服などを送っても、実際は配布できない。また送られてきた物資を貯めておくスペースもないため、物資を送付する場合は人数分、すぐに配布できる状態にしておかねばならない。
 ボランティアのためのボランテイアの必要性も出てきている。様々なボランティアが現地に集まって来ているが、そのボランティアや物資などをサポートできるようなスタッフも必要である。できれば長期に渡って一つのセンターにとどまり、運営や事務を担当するボランティアも必要だ。

6. 今後に向けて
 この災害による被害は、神戸の震災とも全く状況が異なる。東日本の太平洋沿岸全体に渡って程度の差こそあれ被害が広がっているため、全体的に手が廻っていない状況である。街全体が壊滅したような地域は、行政レベルで今後の方向性を考えていかなければならない。様々な点で現段階ではまだまったく先行きが見えない状況である。はっきりとしていることは、経済的にもまた精神的・肉体的にも疲弊している被災者の支援は今後もかなり長期に渡って必要であるということだ。すでに多くのNPO諸団体が現地入りしているが、炊き出しや物資支援、医療に泥出しなど、災害後の初期段階の支援が中心である。これらの活動も重要であることは言うまでもないが、家の片付けの細かいところの手伝いやベビーシッター、交通手段の提供などなど、生活を立て直していくための様々な支援の可能性が考えられる。少人数ずつであっても継続的に長期に渡って、また必要に応じてボランティアの内容を変化させつつもサポートし続けることが大切であると思う。やがてNPO諸団体が撤退した後も、生活を支援していくことが心のケアにも繋がると感じている。ある夫婦の家を片付けた時、二人は最初呆然としている様子であった。家具を運び出し、泥を運び出し、床が見えてきた時、ご主人がはじめて「このテレビも捨ててください」と自ら要望を口にされた。ほんの少しであるが、我々の作業がこの夫婦に希望の光を与えることができたと感じた瞬間であった。
 具体的にはどのような支援の方法が考えられるであろうか。幾つかの可能性を箇条書きで記しておきたい。

 問題点で指摘したように、ボランティアを支援するボランティア、長期に渡って活動できる現地ボランティアが必要である。こうした人材を提供することも重要な役割である。
● 現地をサポートするためにも、ボランティアや物資を準備する支援センターも重要である。上智大学のような大きな機関が、仙台教区サポートセンター、カリタスジャパンと連携して、東京から出発するボランティアの取りまとめ、資材の提供、ボランティア教育などを受け持つことが可能である。
● 具体的にボランティアを送る方法としては、バスを準備して、10名ずつ現地に一週間弱入る。その間にバスは東京に戻り、また次のグループを連れて迎えに行く。それを繰り返していくことが考えられる。この方法はすでにイグナチオ教会信徒である坂川氏が実際にスタートしている。
● 現地の活動については、まず少なくともこれから一ヶ月以上は被災家屋の片付けなどが中心的な作業内容として大切であろう。同時に、被災者の中にはまだ親戚などと連絡が取れていない人も多い。携帯電話を失った人も多いし、電話回線はつながっていない地域が多い。避難所の中から外に連絡ができても、外から避難所の中に連絡ができない。避難所は各所に散らばっているので、それらの避難所を回るだけのガソリンがないなどの理由で、被災者同士の間で連絡が取れていないのだ。そうした人を車で案内する、もしくは手分けして探すなどのサポートもできる。
● 家屋の復旧などが進めば、生活の支援をしていくことができる。買い物や水汲み、清掃などいくらでも支援を継続していくことができる。

7. 諸連絡先・情報
● カリタスジャパン
● 仙台教区サポートセンター情報:カトリック中央協議会
● JLMMのサポートセンター関連情報  
● 真生会館カトリック学生センターWAKAGE
● 東日本大震災全国ネットワーク
● 山内のブログ(少しずつ活動内容を報告します)

2011年3月29日
山内 保憲

★ 被災地の状況 (with pics)


 
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