教皇様のメッセージ

親愛なる皆さん


聖イグナチオの回心を祝う「イグナチオ年」にあたり、皆さんと一緒に祈りを捧げられることを嬉しく思います。私は、イグナチオの生き方とイグナチオの霊性に触発されたすべての人々が、この年を真に回心の経験として生きることを願っています。
 

今から500年前のパンプローナで、イグナチオのありとあらゆるこの世的な夢は、一瞬にして打ち砕かれました。彼に傷を負わせた砲弾は、彼の人生の行先を変えただけでなく、世界のそれをも変えたのです。些細なことように思えることが、大きな意味を持つことがあります。その砲弾で、イグナチオが自分の人生に抱いていた夢はついえました。しかし、神は、彼に対してもっと大きな夢を描いていました。神がイグナチオに抱いた夢は、イグナチオ個人のためではなく、魂の配慮というものでした。それは人類の救いという夢であり、謙遜で貧しいイエスに伴われて、この世界に繰り出す夢でした。
 

回心とは、日常の出来事です。一度きりのものではありません。イグナチオの回心は、パンプローナで始まりましたが、そこで終わったのではありません。彼は生涯を通じて、日毎、回心を続けました。このことは、彼が生涯にわたって、キリストを人生の中心に据えていたことを意味しています。そして、彼はこれを識別を通して行いました。識別は、最初からうまく出来るようなものではなく、どんなに曲がりくねった道でも、切り抜けて、羅針盤を頼りに進むことです。それは、主との出会いへと私たちを導いてくださる聖霊の導きに、常に温順でいることです。
 

この地上の巡礼において、私たちはイグナチオが経験したように、他の人々と出会います。彼らは、私たちが道を踏み外すことのないように助けてくれる印となり、幾度となく回心へと招いてくれます。それはキリストにおける兄弟姉妹であったり、さまざまに取り巻く状況であったりと、神はまた、それらを通して私たちに語りかけてくださいます。他者に耳を傾けてください。状況を見極めてください。私たちもまた、他者のための標識となり、神への道を指し示すのです。回心は、常に対話の中で行われます。神との対話、他者との対話、そして、世界との対話の中で。
 

私は、イグナチオの霊性に鼓舞されたすべての人々が、イグナチアン・ファミリーとして、ともにこの旅路を歩むことができるよう祈ります。そして、これからも多くの人々が、神がイグナチオに与えたこの霊性の豊かさを見出すことができるように祈っています。
 

私は、このイグナチオ年に、みなさんが新しい世界に繰り出し、他者の魂の配慮につとめ、キリストにおいてすべてを新しく見出す、そうした勇気をいただけるよう、心からの祝福を送ります。また、私たち自身も助けてもらう勇気がいただけますように。誰もひとりで救われません。共同体として救われるか、それとも救われないかです。他の誰に聞いても進むべき道は分かりません。ただイエスだけが、私たちに道を示してくださいます。私たちは、互いに助け合って、この道を見つけながら、歩んでいくのです。
 

全能の神が、父と子と聖霊のみ名によって、私たちを祝福してくださいますように。アーメン。


(訳 酒井陽介)